富嶽周遊紀行


<2025/3/22>

 数日前に突然出掛けることになった紀行である

 集合は近所のファミリーマートである。立川から湯倉君がWill VSでやってきてスタートである。表題の通り、概ね富士山方面に向かう

 大垂水を越えて20号線を西へ。大月から139号線を左へ河口湖方面をかじを切る

 雲もなく富士山はてっぺんまでくっきりと見えている。絶好の行楽日和だ

 外国人観光客が大挙して訪れるという富士吉田の富士山遠望商店街。本町二丁目商店街というらしいが、まだ午前中早いので観光客も少ない。少ないだけでいないわけでない。これが日中になると車道にもはみ出てくるほど大挙してくるという話だ。近所にある暗幕を張ったローソンといい、インバウンドの功罪が見え隠れする

 トイレ休憩兼ねてコンビニに寄り道し、鳴沢から県道71号、鳴沢富士宮線に入る。気持ちの良い高原道路だが、ここはまだ雪国だった
 国道139号線をそのまま辿っても精進湖や本栖湖周辺を経由して最終的にまた同じルートに戻るわけだが、県道71号でショートカットして南下する

 数日前に東京でも降雪があったが、この辺りはしっかり残るくらいに積雪があった模様だ。今日は20℃以上の気温上昇が見込まれているが、ここだけは真冬の様相だ
 富士山を遠望しながら牧場地帯を走り抜け、再び国道139号線へ。ゆるゆると富士山外側の丘陵地帯を下ってゆくとやがて交通量や住宅が増えて富士宮の街へ

 私鉄の駅名のような身延線源道寺駅北側を掠めて身延線の西側へ出る。身延線は元々富士身延鉄道という私鉄だったので「私鉄みたいな駅名」というのは当を得ている。富士身延鉄道が国有化されたのは戦時中の1941年で、時節柄輸送力増強が必要となり買収されたが。それ以前から高額な運賃設定等で地元からの国有化要望が上がっていた。富士の裾野から狭い峡谷を縫うように走る富士身延鉄道は建設費や維持費が高騰し、運賃を高額にせざるを得なかったという実情がある
 住宅街の中の交通量の多い市道を南下し、最初の目的地に設定した入山瀬駅近辺に取りつきつつあるが、住宅密集地過ぎて車の停めどころがない。コインパーキングなぞ存在せず、当てにしていた公共駐車場は休日は使用できない模様だ

 そんな我々が選んだのは幹線道路沿いにある、富士山を遠望できる地域スーパーマーケット、「Every BIGDAY」の北富士店駐車場だった。後で買い物すればええやろ?という、いつも通りのあれである
 Every BIGDAYという名は聞き慣れないが、先に書いたように静岡県内にのみ展開する地域型スーパーマーケットである。本社は浜松にあり、県内28店舗を営業する。近所では有名なスーパーらしく、まだ午前中早い時間にも関わらず多くの住民が出入りしていて活況である

 スーパーの目の前の道を西へ。坂道を降りてゆくとちょっと古めの工場、ないしは倉庫が見えてくる

 倉庫の直ぐ向こうは身延線の複線線路が見えている。踏切名は久保踏切で、

 すぐ左には入山瀬駅が見えている

 右は先ほどの工場がある敷地だが、我々の最初の目的地はこの工場を見学することにあった。もう、この写真で見えている

 もっと大きく見てみよう。御覧の、コンクリートに埋め込まれて残るトロッコ軌道。これが今回の最初のミッションだ。写真左右に横切っているのは門扉のレールで、手前で途切れている部分よりこちら側は一般道路である。左は身延線の線路で北に向かって工場内に入り込んでいる。写真中央で分岐し、右手へ大きく弧を描く支線も見て取れる

 分岐部の拡大である。工場内のトロッコ軌道であるが、分岐は普通鉄道のようにしっかりと作ってあったように見える。切り替え部のトングレールなどは既になくなっているようだ

 一般道路を越えた先にも少しだけ軌道が残っている

 軌道の先は現在自動車教習所になっており、ここが教習車の一般道への出入り口となっている。かつては向こう側も系列の工場があって、何某かの製品をトロッコで移動させていたのだろう
 工場の門扉には富士里和製紙株式会社とある。大正11年に創業した製糸業の会社で、現在はトイレットペーパー等のリサイクルペーパーを製造しているようだ。本社と工場は現在地から少し南に下ったところにあり、ここは旧工場で現在は倉庫として使用されていることがわかった

 国土地理院の空中写真閲覧サービスから1959年の同地写真をダウンロードした。中央が入山瀬駅で駅の右側に富士里和製紙の工場が見える。現在の教習所エリアにも工場が建っていたことが解る。年代を新しくしてゆくと、1993年の写真までは工場が写っていたので、平成になってから払い下げられて教習所になったのであろう
 興味深いのは、駅の左、西側へ専用線が伸びているのが写っている。現在の王子キノクロス株式会社(当時は富士加工製紙)まで貨物専用線があったことが解る。現在は小さな駅だがかつては貨物側線がいくつも並び、紙製品の出荷が旺盛だったことが窺い知れる

 貨物側線跡、上記の古写真では機関庫らしき建屋があるあたりにD51が1台保存されている。貨物取り扱いが無くなり、側線も必要なくなった跡地は児童公園に変わっていた

 看板が二つ。一つはD51の横断面。簡単な構造図

 もう一つはD51の簡単な解説

 D51は解説板にもある通り、1115台も製作されたので全国で見られた、ごくごく一般的な大型蒸機である。関東地方でも勿論多数が活躍したが、この943号機は「走ったところ 北海道函館本線」とあるように北国装備の大形スノープラウが装着されている

 943号機は戦中、1944年3月に川崎重工兵庫工場で落成し、札幌局に送られ生涯を北海道で過ごした。長万部を皮切りに追分、岩見沢、小樽築港、北見と転属し、蒸機最末期まで使用され滝川で1976年3月に廃車となった

 1977年からここで展示されている。70年代後半には大量に廃車になった蒸気機関車が日本全国で保存展示されたが、野ざらしで静態展示された例が圧倒的に多く、そのほとんどが50年近くを経て荒廃しており、特にここ10年ほどは撤去解体が相当進んだ現状を見るに、各部欠損はあるものの屋根に覆われて展示されている同機は相当幸運な部類に入るだろう

 キャブには入れない。極寒地で使用されていたので、乗務員室扉が増設されている。キャブ下表示「49-8」で昭和48年8月に苗穂工場で最後の検査が行われているのが解る
 身延線は昭和の初めに電化されており貨物輸送が盛んだった時期には既に電気機関車が投入されている。構内の入換などには小型蒸機が使用された可能性もあるが、D51のような大形蒸機が使用された形跡はない。70年代は全国でSLブームが巻き起こっており、縁もゆかりもない機関車があちこちに保存展示されたが、本機もそんなものの一つであろう

 D51の隣には茶色い客車が1両。こちらは屋根がなく露天だが状態は悪くない。そう遠くない過去に塗り直されていると思われる状態

 南側妻面のドアは作り直されている

 西側デッキドアはふさがれており、車内には北側妻面にある階段からも乗り降りできる

 児童文庫として活用されている本車はオハ35 441。オハ35は1939年から43年と46年から48年にかけて1301両が製造された戦中戦後の標準三等客車である。最終的に他形式から編入された8両を加えた1309両が国鉄に在籍し、国鉄の鋼製客車単一形式としては最多量数を誇った
 この441は1941年に日本車輛で製造され、廃車時の最終配置区は三重の亀山区であった。廃車は1977年3月で、隣のD51が公園に搬入されるのに合わせて見繕われたのであろう
 一連のオハ35形式群を纏めると相当数が日本全国で走り回ったので現在でも津軽鉄道で1両、大井川鉄道で5両が現役で活躍しているほか、10両強が各地で保存展示されている

 うきはのリクエストで訪れた入山瀬界隈を離れ当初の目的だった身延線撮影地へと移動する

 途中でマツダ・コスモスポーツとすれ違った。フロントグリルの中央開口部が広がっているので後期型だな

 やってきたのは堅堀~入山瀬間、潤井川橋梁。富士山がどーんと正面に見える鉄橋だ。左手の工場や本線上の白い高架橋壁とか気になる部分はあるが、ここで定点観測をしたいと思う

 水鳥が憩う長閑な潤井川。潤井川は富士川水系の一級河川で、富士宮市上井出付近を水源としてほぼ真南に進み田子の浦で駿河湾に注ぐ25km程の河川である。身延線はこの堅堀~入山瀬間と、西富士宮~沼久保間で2回渡る
 最初、湯倉君に「潤井川橋梁行こうぜ」と誘われた際には富士宮~沼久保間のそれと思って現地調査したのだが、当日になって別の場所ということが発覚した。そもそも、潤井川という名前を今回初めて聞いたので身延線がそんな川を渡るのことすら知らなかった

 白プリは同業者様。黒VSは湯倉君。ちょっと離れたところに詰めれば3~4台くらいは停められるかな?堤防道路の側道みたいな道だけど、結構交通量は多い。最初調べたポイントはどう見ても車置けるところないしおかしいな?と思ってたんだよな。そもそも別の場所だったわけだ

 お昼ご飯はさっきのスーパーで買った「富士宮やきそば」。河原の土手ピクニックだ!富士宮来たらB級グルメしないとな

 練習開始。富士11時15分、堅堀11時21分発の西富士宮行3539Gで定点観測開始。富士←クモハ313-3005+クハ312-3005→甲府

 西富士宮11時15分発、入山瀬11時28分発の富士行3548G。富士←クモハ313-3101+クハ312-3101→甲府
 銀色の電車しか来ないから白い壁とか建物とかに色を喰われちゃうな

 さっきのクモハ313-3101が戻ってきた。富士11時48分発、堅堀11時54分発の西富士宮行3541G
 敢えて堤防道路から離れて撮影してみた。水面は見えないが、列車を大きめに取っても白い壁とかは写らない。最も鉄橋の良さも活かせないけど

 今度は西富士宮から3005が戻ってきた。入山瀬11時58分発、富士行3550G

 電車が同じのしかこないので縦位置で撮影したり

 鉄橋撮影したりして遊ぶ

 潤井川に架かるのでそのまま、潤井川橋りょうというらしい。富士宮の先でも潤井川を渡るのだが、そっちは別の名前が付いているんだろうな

 富士12時15分発の4005M、甲府行特急ふじかわ5号がやってきた。富士←クモハ373-12+サハ373-12+クハ372-12→甲府の3連
 ふじかわ撮ろうぜ、とやってきたがこの列車は対象外だった。対象外っても普通列車は313しか来ないので撮影するけどもね

 後撃ち。3両は思いのほか長いので富士山正面だと白壁にかかるな

 甲府9時3分発、入山瀬12時17分発の富士行3628Mは3連だった

 本命の4006Mふじかわ6号がやってきた。富士←クモハ373-11+サハ373-11+クハ372-11→甲府
 もう壁は諦めたwwwこれを最後に撤収
 1994年に登場した中央西線用383系の後継車開発がスタートしたので、それが落ち着いたら次の対象は1995年登場の本系列になりそうだが、高速道路延伸で身延線の特急列車の地位が相対的に低下しているのでどうだろうか・・・・・・。315系投入で静岡地区に押し出されてきた元セントラルライナーの313系8000番台を投入して快速列車化等も考えられる
 当初予定は十二分に果たしたが、まだ昼少し過ぎで帰るには早すぎる時間である。幸いまだ富士山は綺麗に見えており、せっかくなので近所の鉄道路線をいくつか拾って撮影を続行しようと思う
 最も近いマニア的に面白そうなのは岳南鉄道だ。都合のいいことに南北に走る区間があるので丁度良さげな光線状態で撮れそうだ。吉原に向かおう
 手っ取り早く、国道139号線沿いにあるゲームセンター、ラウンドワンに車を停めて

 至近で来た電車を撮影する。ロケハン終わらないうちに来ちゃったので、光線状態も良いし普通の走行写真で
 列車は親会社の富士急から2018年に移籍してきた元1000系1206編成である。岳南では9000形を名乗り、モハ9001-9101と附番された。車内は富士急時代のセミクロスシートのまま、シングルアームパンタは岳南初である。温暖な駿河湾沿いの鉄道には不必要に思えるスノープラウがそのまま残っている。導入に際して塗装はかつての日車標準型電車や元東急5000系が走っていた頃のものに塗り替えられている。奇しくも四国の伊予鉄道と同様に、元京王の3000と5000が同時に活躍することになった

 今日は2本が運用に就いており、もう1本は7001が走っていた。wikiの岳南電車ページTOPにある写真と同じような構図で撮れたw

 江尾まで行って戻ってきた9000を撮影してここを離れよう。ちょっと白っちゃけちゃったな

 せっかくなので岳南富士岡の車庫を見に来た

 7000形のもう1両、7003は車庫に入っていた

 いかにも地方私鉄の庫って感じ。単行電車が2本横並びで入れるだけのこじんまりとしたもの

 本線、駅越しに北側を見ると機関車がたくさん並んでいる。あそこに行ってみよう。楽しげだ!
 
 最新のLED全方位警報灯のくせに、音は昔ながらの電鐘式(チャイムやメロディと言った電子音ではなく、物理的に鐘を叩いて警告音を出す)というアンバランスすぎる踏切を渡って岳南富士岡駅にやってきた。ここに来るのは2012年の2月以来のことだ。貨物輸送が終わるということで湯倉君と共にやってきた。建物はそのままだけど、ちょっと小ぎれいになったな

 がらんとした休日昼下がりの駅待合室。電車は近代的だけど、ここはまだ吊り掛け電車が走っていた頃と全く変わらない

 駅の裏は「がくてつ機関車ひろば」として開放されている。その名の通り、貨物輸送が盛んだったころに活躍した機関車たちが保存展示されている。前回は貨物輸送が行われていた時期に訪れているので、もちろんこの施設に来るのは初めてである

 このちっさい黄色い四角いかたまりは貨車移動機、いわゆる「アント」である

 現在のアント工業の製品ページには乗っていないけど、同社のANT18G-Wという形式。車庫内検修車両の移動に使われており、性能的には電車2~3両の牽引が出来る。7000形1両なら何とか人力で移動出来るが、重い鋼製電車2両は・・・・・・ということで9000形導入時に一緒に購入したそうだ

 側線の奥には廃車になった7002がひっそりと佇む。機器故障で引退したが、これの代替で9000が導入された

 9000導入時に一緒に富士急から持ってきたのかな?スノープラウ付き台車

 番号は消されているがワム80000。青ワムは紙輸送で岳南で末期までよく見られた貨車だ

 4台の機関車が並べられている

 手前奥の一番見やすい位置にいるのが赤、クリームで派手な塗装のED403

 ED291とED403が縦列駐車

 ED402と403
 同じ形態のこれら2台は松本電鉄がダム建設貨物輸送用に導入した機関車だが、資材輸送終了後の1971年に岳南鉄道に譲渡されやってきた。以後、岳南の貨物輸送の主力として貨物輸送終了まで活躍した。403のみ日本大昭和板紙のコーポレートカラーに塗られている。当初は赤クリームだったが、後に茶色クリームに変更され引退を迎えた。保存展示に向けて再度赤クリームに塗り直されて現在に至っている

 隙間が無く撮影が困難なED402はデッキ横からアップでいかにも機関車っぽく撮影してみた

 障害物は無いが、位置的に逆光になるED291

 ED291はJR飯田線の前身、豊川鉄道が1927年に新製した電気機関車で、国鉄を経て岳南鉄道へやってきた

 更新改造で細部は異なっているが、かつての社型機関車の面影を良く残こす。岳南は広く主力として活躍したが、貨物輸送衰退のあおりで運用を外れ、長く岳南富士岡で留置されていたが、緊急予備用として車籍は残されており廃車は他の機関車と同様2015年になってからであった

 パンタを高く掲げて佇む岳南のアイドルED501
 
 独特の切り抜き車番から解る通り、元は名古屋鉄道のデキ500だが、更に遡ると上田温泉電軌(現在の上田電鉄)が新製したデロ300型電気機関車である

 本線貨物牽引はED402、403に譲ったが長く比奈駅構内入換と専用線への貨車出し入れ扱いで貨物輸送廃止まで残った。うきはが岳南を初めて訪れたのは2008年になってのことだが、そのころ既に定期運用持っている国内最古の電気機関車だった
 どの機関車も綺麗に手入れされて保存されており、このまま姿が今後も永く続くことを願ってやまない

 吉原行7001を撮影してひろばを退出

 例の踏切から見た岳南富士岡駅

 壁の上から車庫の中を撮影していた。整然と雑然が入り混じって良い感じ。こんな庫を擁した小型レイアウト作りたいな・・・・・・っていつも言っているなw
 車に戻って、次の訪問地の算段を付ける。まだ辛うじて富士山は雲もなく見えている。時間的にはもう1ヶ所が限界だろう。狙いを定めたのは伊豆箱根鉄道駿豆線だった
 県道167号線を南下し、国道1号、東海道本線を越えて県道380号線を左折、東へ向かう。県道のすぐ右側は駿河湾だ。沼津、三島の街を抜けて、

 やってきたのは北沢林道踏切。駿豆線の撮影地としてはとても有名なポイントだ。ここには過去、2度ほど個人的に来たことがある

<閑話休題・10数年前の北沢林道踏切>

2012年、伊豆箱根鉄道に譲渡され使用されていた1000系こと元西武の701系が引退するとのことで撮影に2度ほど出掛けた。伊豆箱根鉄道はこのころにはすでに大雄山線も駿豆線も乗車済みだったが、沿線で撮影したことは殆どなく、雑誌で見かけたのかふんわりと印象に残っていた「富士山が見える畑の中の撮影地」を目指してきた

2012年2月22日

 まだ雪の残る富士山の裾野を越えてやってきた北沢林道踏切。地図で見て広々していて撮影しやすそうと判断してやってきたが、ファインダー越しに見た構図はよく見る有名撮影地のそれだった

 足回りが綺麗な3506F。この第6編成は1997年増備で、当時10年ぶりの同系新製だった

 3502F。上の3506Fと同じ3000系だが、1~4編成は鋼製車体で側窓のデザイン等が異なる

 元西武101系の1300系。3連2本が導入されたが、本系列導入で元701系の1100系が既に引退しており、最後に残った1本が201年中に引退するということで撮影に来たが、この日は運用に就いていないのか出会えなかった

2012年2月28日

 お目当ての1100系に出会えなかったので、1週間後の休日にも再び同地を訪れた

 3000系ステンレス車体2本のうち、もう1本の第5編成

 御覧のように富士山バックと広々とした畑が撮影出来る有名撮影地

 なお、この日も元西武車は1300しか動いておらず空振りに終わり、結局最後の1100系は撮れずに終わっている
 あれから10年余。伊豆箱根所属の車両は変わっていないが、JRから乗り入れてくる特急踊り子は国鉄型185系から、E257系に置き換えられており確かに時代は進んでしまっている
<閑話休題・終>

 そして2025年の同地である。午後も遅い時間になってしまったので車両の前面に日が当たらくなってしまった。反面、まだ富士山は綺麗に裾まで見えている

 3504F。ちょっと判り難いけどヘッドマーク付き。「いずっぱこGEO TRAIN」地元の高校生とタイアップして沿線の魅力や歴史を紹介するアドトレインだ。今回で第7弾で2024年12月から運行されている

 後追いで。太陽が真横にあるのでこちらの前面にも光が当たらないな

 先頭車3ドア、中間車2ドアという変則デザインの7101Fがやってきた

 広く画面を取って撮影

 4030M踊り子10号、E257

 NC34編成。クハE257-2514以下5連。元々は幕張にいた房総各線用の500番台を改造したものだ

 257と富士山

 ちょっと踏切に寄って撮影。もう富士山に露出合わせても電車に合わせてもうまくいかないな

 電車だけアップで撮影して終わりにしよう。北沢林道踏切はおまけみたいなものだからな

 富士山の向こうに陽が沈むなか帰宅の途に。三島の街を南から北に向けて246号線で御殿場を目指す。御殿場から138号線、篭坂峠を越えて山中湖へ

 道志の道の駅で休憩したら多摩まで一直線だ