岳南富士川紀行


<2012/2/7>

 くそみたいに雨降っているなか、勤務終了と共に行動を開始。

 こいしちゃんで東名道を西へ。東名道は曜日時間問わず車が多いな
 目指す富士インターまでは町田から100キロほど。10時半過ぎに高速乗って、11時半には到着

 とりあえず岳南鉄道の比奈駅にやってきた。3年半ぶりくらいか?しかし暗いな
 まもなく貨物輸送も終了(2012年3月)するとのことで、天気も悪いがその最後の姿を見ておこうと言うのだ

 小田急の旧型車体を利用したダルマ(倉庫)はみんな消えうせていた

 2008年に来たときはこんなふうに廃車体がごろごろしていた。岳南表富士裾野紀行も参照あれ
 とりあえず、岳南富士岡まで切符を買って構内へ

 今日は原田への入換始業はED402だった

 ホームから

 逆エンド。毎日使用されているので手入れも行き届いて綺麗である
 ED402は僚機403と共に松本電鉄からやってきた。元々はダム建設資材輸送用の電機であった。401が無いのは元々ED301というのがあり、その続き番号をとったからである。「40」は40t機を表している

 こちらがもう一両の403

 403はちょっと前までこんなド派手な塗装だった

 ワムがたくさん。前回来た時はコンテナだった気がするのだが・・・

 江尾行きの電車がやってきた。この電車で隣の岳南富士岡へ行く
 ヤードの脇をユラユラ揺れて数分。富士岡到着

 たった1駅だもの、すぐ着いちゃうよ

 ホームは島式1面2線
 隣の比奈までは貨物ヤードで結ばれている感じだ

 検修区があり、ここが岳南の中枢である。古豪、ED501は今日は検査日のようだ。残念

 クーラーキセ(クーラーのカバー)が載せられているのが旧日本陸軍が制作した九一式軽貨車
 大戦中やその前は現代と違って道路事情がよくなく、鉄道の重要性が今にも増して高かった。航空機は大量輸送には向かず、船は鈍足で物資の高速大量輸送は鉄道しか選択肢がない時代であった。「鉄道は決戦兵器」と言うスローガンが生まれるほど鉄道は輸送の要であり、軍部にとっても鉄道の維持は戦線を維持する重要なインフラであった。かつては自衛隊にも存在したのだが、旧日本軍にも鉄道の敷設を目的とした土木連隊が存在しており、それを陸軍鉄道連隊と言った。有名な鉄道連隊は習志野周辺にあって、新京成電鉄がこの鉄道連隊の演習線を出自とするのは有名な話だ。この連隊では軌道の敷設や線路周辺の土木工事、架橋工事などを行ったが、その際に使用されたのが九一式軽貨車等の連隊由来の鉄道車両たちである
 この数年後に出てきた九七式軽貨車は簡易で堅牢であり、戦後にも大量に残っていたので各私鉄に譲渡され現存しているものも多いが、数年の差だがこの九一式軽貨車はあまり見かけたことがない

 九一式軽貨車の隣の側線に停まっている箱型電気はED29 1。綺麗ななりだが勿論現役ではない

 もとは飯田線の全身、豊川鉄道が開業時に準備した電気機関車デキ52で、路線の国鉄買収に伴って同時に国鉄入りし、ED29の形式を与えられた。1959年に岳南鉄道に譲渡され貨物列車の牽引や比奈での入換仕業に従事したのち、貨物輸送衰退から岳南富士岡で休車となった。車籍は有しているが痛みが激しく、予備機として保有され続けているものの運行は難しいとされる。近年、修繕はされているが、変わらず静態保存の体で岳南富士岡駅構内で昼寝する毎日だ

 電車で比奈に戻り、車で今度は終点の岳南江尾までやってきた


 山側の側線。草に埋もれている。ここまで貨物列車が運行されていたのは1984年までのこと
 貨物列車の運行が終わり、駅東側に伸びていた機回し線も不要となり、一部は払い下げられて宅地となったようだ


 唯一の2両固定編成、8001が留置されている

 がくちゃんかぐや富士号。2両固定で収容力が大きいのでラッシュ時向け。これが走っているのを見たことがない。ラッシュ時でも2両必要なのかなぁ・・・・・・

 吉原側の先頭車、8101には福島応援ヘッドマークが付いていた

 柵の位置関係で綺麗に取れないので、ワンマン運転用ミラーで遊んでみたw

 駅前の車止めの錘はブレーキシューだ

 吉原から単行電車がやってきた。富士岡に7001が留置されていたし、今日動いているのはこの7003と、先ほど乗った7002だけだ

 駅前にいたモフモフネコチャン

 岳南鉄道終点の様子も伺えたので、ここからは本格的に神社巡り

 富士市中里にある諏訪神社。最寄り駅は岳南電車の須津駅かな。岳南江尾駅からは車で10分もかからなかった

 軽トラがどいたので改めて撮影してみた。鳥居の先にあるのはどう見ても神社らしくないコンクリの建物だ

 この公民館みたいなのが諏訪神社?うーん、そうでもあるような、そうでもないような?
 扉の横には「諏訪神社氏子会館」と表札があるので神社の関連建物であることは間違いない

 会館の後ろに本殿があるので、これが諏訪神社で間違いはないだろう

 そして、間違いなく会館と諏訪神社本殿は繋がっている。会館が拝殿てことか???
 中に入ると賽銭箱とかあったのかしら・・・・・・このタイプは初めてだなぁ

 さらに車で西へ10分ほど

 富士市比奈の諏訪神社
 町の名前は比奈だけど、最寄り駅は岳南富士岡かな。もっとも、駅からは北へ結構な距離歩くけど


 さっきの須津の諏訪神社に比べるとはるかに神社っぽくて安心する

 特に、由緒ある木とかではないのだけど、中身がスッカスカになっていたので面白くて写真を撮った

 諏訪神社だし、風神録チックだね。まぁ、関係ないんだろうけど・・・・・・
 シナツヒコは男女一対の神で神産みにおいてイザナギ、イザナミの間に生まれた神である。石碑の通り、風の神様とされているが、あまり詳しい伝承はないのかな・・・・・・

 吉原の街を抜けて西へ。県道396号線をたどって富士川を渡り、やってきたのは道の駅富士川楽座。東名高速の富士川SAの上り線側と一体運営されている


 富士川楽座からみた富士川。晴れていれば正面にでっかく富士山が見えるらしい

 楽座にいたネコチャン。今回はネコと触れ合う機会が多くて嬉しい

 富士川楽座で小休止した我々は、今度は富士川に沿って北上するルートを取る。楽座の目の前、県道10号富士川身延線を北へ向かう。その名の通り、富士川に沿って北上する県道で晴れていれば右手側に素晴らしい景色が望めるのだろうが、この雨では・・・・・・
 芝川の手前で富士川を渡り、富士川とは離れていたJR身延線が寄ってくる。稲子駅付近から国道469号線に入り、いったん富士川からは離れて山中へと向かう

 行きついた先は新稲子川温泉ユー・トリオである。カルシウム・ナトリウム−塩化物泉。よくある温泉だが、雨で冷えた身体にはもってこい。この先も探索は続くので少し身体も伸ばしておきたいね
 稲子の先で山梨県に入り、南部町に到着する

 温泉の後、最初のスポットは南部町福士にある八幡一宮諏訪神社だ

 手水にナンテンの実

 綺麗でいい
 一の鳥居、二の鳥居を過ぎると舞殿があり、

 その後ろ、数十段の石段を上った先に社殿がある
 神社そのものの御由緒とかは見受けられないので、詳細は解らないな。1549年、天文18年にスサノオを勧進したのが最初のようだ

 この辺りまで来ると山梨名物の「丸石」があるのか?


 南部町の中心部近くに移動して、もう一つの諏訪神社に。ここも斜面に建っているので石段を登ってゆく

 なんかちょっと不安になる感じの橋が見えるな・・・・・・あとで河原まで行ってみるか

 上がりきると少し平坦。右に御由緒があるな

 源頼光が勧進して建立ということしか書いていないが、調べてみるに1095年、嘉保2年のことらしい。この地方の豪族、南部氏による再建が1325年。ものすごく古くからある神社の一つではないか
 
 二の鳥居から細道を進むと、また長い石段

 その上に本殿が鎮座していた。ここも人気がない。雨に濡れた姿がうら寂しい

 夕方近くなり、元々なかった光量がどんどん落ち込んできた

 最後に、神社への中腹からみた橋の袂へやってきた

 富士川の流れの真上、2スパンを残して、橋の大半は消えていた

 向こうの道路から何も知らずに曲がってきて、そのまま進むと下にドボン・・・・・・
 まぁ、もちろん進入禁止になっているんだろうけども
 橋の正体は南部町内、栄地区と睦合地区を結ぶ南部橋である。身延線が開業する前は同地区の往来は渡し船によって行われていたが、同線開業後は内船駅開設とともに架橋の計画が持ち上がり、1932年には木橋が架けられた。戦後の1957年には鉄製の橋にかけ替えられたが、一度流出し、1959年に再度架橋されたのが現在撤去工事がされている南部橋である

 2011年8月には下流に新南部橋が架けられ、新橋開通とともに旧橋は閉鎖され、撤去が開始されたそうだ。ぎりぎり、旧橋が見れる最後のタイミングだったのかもしれないね

 暮れなずむ富士川上流側を最後に見て、車に戻る

 あっという間に暗くなった富士川沿いに甲府方面まで北上、中央道を使って東京へと戻った