会津羽前紀行
<1997年8月>
前年の秋に妹が生まれ、正月の旅行は弟と二人きり。例年の夏の旅行は家族揃ってということだが、生まれたばかりの妹も連れての事なので一泊二日で近距離にということに落ち着いた。交通手段は自家用車だ

当時は89年式のトヨタのAT170カリーナ↑(写真残ってないんだごめん)に乗ってた。「足のいいやつ」のキャッチコピーは使われなくなった世代だけど、1.6リッターで4A-GEエンジン搭載のホットグレードだった。たしかGリミテッドだったはずだ。クーペとかも無くなった世代だけど、軽かったし、よく走ってくれた車。当時はまだチャイルドシートだとかベビーシートだとかが普及しておらず、5人乗りだったが室内に乳児用の特別な装備は付けていなかったはず。母親はよく我慢して抱いてたな・・・・・・
誰がどうして決めたのか定かではなかったが、行き先は東北の山形になった。既に東北本線は全線乗って北海道にも行っていたし、福島や宮城には別に旅行に出かけていたが、山形はまだ未踏の地であった
早朝、東大和の自宅を出発し、北へ。高速道路は極力使わずに4号バイパスなどを経由して福島へ。郡山からは西へ猪苗代

猪苗代湖を遠望しながら、松原湖畔を抜けて白布天元台から米沢へと入った

米沢城址、上杉神社を訪れ、米沢に泊まり。この後、幾度となく泊まることになるα-1ホテルが今日の宿
翌朝。早起きして一人で電車に乗りに行くことにした。山形県は初めてなので、勿論米沢駅の奥羽本線も初めてだ
福島方面へは今も昔も本数が少ないので、山形方面を向かう事として切符を購入、改札を受けた

側線に停まる「快速ざおう」山形表示の719系5000番台クモハ719-5009。福島~山形間標準軌化に伴って準備された。台車が違うだけで、基本的には東北本線を走る0番台と一緒である
快速ざおうは米沢~山形間に設定されていた快速列車で山形新幹線開業時から1999年頃まで設定されていた

米坂線ホームには新津運転所、新潟色のキハ58、3連が停車中。写真のキハ58 736は1966年新潟鐵工製で国鉄時代からJR化後にに至るまで終始新潟地区で活躍した。この後、1998年には飯山線キハ110化で押し出され大量に転属してきたキハ52に代替され2000年2月に廃車となっている
直近の719系普通列車の最前部に乗って山形方面へ向かう

どこの駅だろう?交換する400系つばさを
<山形>

1992年山形新幹線開業によって列車愛称を新幹線に譲った上野~秋田間の特急つばさ。その代替と山形から先の新幹線連絡輸送用に設定された列車が特急こまくさである。山形と新庄、秋田を当初8往復、後に9往復で結んだ。使用車両は485系4連で、山形新幹線が当時6両だったので乗り継ぎと地域需要的には4両程度で事足りたのだろう。1999年に山形新幹線新庄延伸工事が始まると短い役目を終えた

仙台からの仙山線455系。ヘッドライトが角型一体化された車両。仙山線はこのころ455系が主要車種で、仙台口、愛子までの区間列車では719系や715系が一部使用されていたが、山形まで入るのは455系だった。写真は普通列車だが、日中、仙台~山形間を直通するのは殆どが快速仙山で、快速ながら作並~山形間は各駅停車に近い運転系統だった。一部は新庄まで乗り入れたが、それも新幹線延伸工事で消滅した

左沢線用キハ101-7。この年に2両が増備されて、左沢線用のキハ101が出揃った。それまではキハ40が使用されていたが、このころにはもう使用されていなかったのかな?

ED78 4牽引の貨物列車。仙山線経由で蔵王までと、反対方面漆山までの貨物列車が残っており、福島から仙台に移動したED78がその任に当たっていた。このころすでに山形~蔵王間は新幹線開業で標準軌化されていたが、貨物列車の為に三線軌とされていた。この貨物輸送も新幹線新庄延伸によって廃止となった

山形で発車を待つ400系つばさ。それまで白が基本だった新幹線がシルバーになっただけでも衝撃的だった400系
帰りは米沢まで新幹線。400系なぞもちろん初乗りである

どこで撮影したのかな・・・・・・今となっては解らない400系新幹線
米沢に戻ると牛肉弁当を買ってホテルに帰り、家族と合流。1泊だけの旅行なので東京へ帰るわけだが、帰りはどうゆうルートで帰ったのかはよく覚えていない。福島までは国道13号栗子越えで向かい。道端の露店で発売していた白桃などを物色したが、その後は高速道路だったか・・・・・・
了