酒匂裾野天険紀行


<2025/8/7>

 勤務明け、いったん帰宅し諸々整えてから自家用車で出発。高尾山ICから圏央道を南下し、茅ヶ崎西ICまで小一時間。茅ヶ崎の実家に帰省中の妻を収容して、海岸沿い、国道134号線を西へ進む
 久々の西湘バイパスは通行量も少なく快適。平日とは言え、夏休みなのでもっと混雑しているかと思いきや、高速度を維持したまま早川まで到達。ここからルートは熱海方面、ターンパイク、箱根新道、更には戻る小田原厚木道路と分岐と合流を繰り返す
 今日は箱根湯本を越えて大平台の温泉なので風祭の先で一般道へ。入った瞬間に渋滞に。箱根は隘路なのでここまでくるとやはり混雑するか・・・・・・

 たぶん、箱根湯本駅の先まで混雑しているな・・・・・・渋滞で全然進まないので小田急の1000系も撮影出来ちゃうよ
 予想通り、湯本駅を越えると流れは良くなり、箱根の峠越えにむけて急こう配急カーブが現れてくる。大平台の手前で「しだれ桜通り」に入ると直ぐに今日の宿泊地に到着

 今晩は箱根嶺南荘様にお世話になる。現地に到着するまで全く知らなかったが、「箱根船員保険保養所」と掲示されている通り、船員さん向けの保養所だったんだな
 「8日から9日の予約に今日からの分を繋げて2泊ですね」とか言われてなんのこっちゃ!?とか思ったが、別の予約客の話だったらしく、無事に誤解もとけてチェックイン。似たような名前の人でもいたかなぁ??

 14時半過ぎには投宿。ここは13時からチェックイン出来る。かなり早くから部屋に入れるので長い時間ダラダラのんびりするには良い宿と言えよう

 エアコン掛けたままでは1速でしか登れないような「しだれ桜通り」を登ってきた高台にあるので眺めは最高。こちらは概ね東向き側で、微かに相模湾が見える。この山の隙間を下りてゆくと箱根湯本があって、その先が小田原なのだが全然人工物が見えないねw

 明星ヶ岳が見えるお部屋、なんて予約メールには書いてあった気がするが、件の山はずっと左の奥の方でこの部屋からは見えない。正面にあるのは名前があるのかどうかさえ分からない山

 宿は大平台の集落、温泉街の端っこにあるので手前側にもあまり建物は見えない。背後が大平台の中心地になる

 地図で見ると登山電車が至近を走っているのはすぐわかったので、それがこの宿を選んだ理由の一つだったのだが、実際は屋根しか見えない。
 アレ↑は3000/3100形「アレグラ」。2014年から運行されている同社初のVVVFインバーター制御の電車だ。今日は旧型のモハ104-106、108は走っていないようだ。非冷房なのでこの酷暑では運行できないのだろうけど

 夕食。分量控えめ

 箱根は海の幸も山の幸も美味しいものが入手しやすい立地

 デザートのフルーツカクテル

 夕食が早めだったので、部屋に戻ってもまだ光がある
 ダラダラしつつ、男女浴室が入れ替わる21時半過ぎにもうひと風呂浴びてから就寝


<8/8>

 昨日以上に良い天気

 朝ごはんしっかり食べて出掛けるよ

 今は1階のレストランでの食事が基本だけど、部屋食をやっていた時に使用していたであろう配膳用エレベーター。小学校にもこうゆうのがあって、乗ってみたかったなぁw
 今日の予定の確認、前売りチケットの手配をして9時過ぎに出立。国道1号線を登って芦ノ湖の手前、元箱根へ。芦ノ湖に沿って北へと進んで、最初の目的地はプリンスホテルや日帰り温泉施設のある箱根園

 水陸両用バスがいた。「NINJA BUS」最近は観光地化されている湖にはあちこち走っているけど、大体デザインは同じ。製造メーカー1社しかないのかな?
 このNINJA BUSを開発したのはコーワテックという会社。神奈川県の寒川市に事業所をもっている。この手の特殊車両としては大手の会社のようだ。以前、山中湖で乗った「KABA」は東急テクノシステムという会社製なので、少なくとも関東ではこの2社の水陸両用バスが利用されていることになる
 
 NINJA BUSはたまたま見掛けたからということで、本来の目的はこちら
 
 「だっこしてZOO」、猫カフェとか動物ふれあい系ショップの大形版だ。混雑すると楽しめないので、開店10時に合わせていの一番でやってきた

 受付に来るとさっそくネコチャンが寄ってきた。こうゆう所なので、もちろん人懐っこい
 
 日本固有種のウサギ。でかいw

 ミーアキャット!
 
 立った!!立たない!!立て!!!立たなかった・・・・・・

 ハムハム

 さっきのネコチャンv

 ちまちま走り回っている。餌を用意していないと見向きもされないぞw
 
 アメショーちゃん

 ネコチャンは好き勝手歩き回っているけど、ワンコエリアはワンコだけで仕切られている。ここも餌を持っていないと見向きもされないwww現金なやつらだ

 でっかい、サモエドさん

 ゴロン。サービス精神旺盛だwww

 チョウゲンボウ。昨晩動画を見ていて出てきた。タイムリー。お目目大きくてかわいい。隼の仲間だけど、中、小型で比較的飼育しやすいらしい

 フクロウさん

 夜っぽいw
 
 動物と触れ合いを楽しんだら、次は自然だ。仙石原にある湿生花園にやってきた。その名の通り、湿原とその周辺の生息する動植物の博物館だ

 トンボ

 特別展は「世界の食中植物展」

 ウツボカズラの一種。

 色んなのが群生している・・・・・・のか?あんまり真剣に説明読まなかったのでw

 ここからは通常の展示(展示?というのかな)。ポンテデリア・コルダタ。紫で綺麗。ミズアオイの一種で北米南部が原産地。和名だとナガバミズアオイというそうだ。花が咲くのは8月から10月なので丁度いまがその時期ね
 
 暑すぎてもう紅くなっているイロハモミジ
 
 紅いのはクルマユリ。冷涼な地域に自生する

 標高と群生の為か陽射しのわりに涼しい。冷たい風が吹くので、日陰にいるとホッとする

 大形の物はいないけど、水生生物もたくさんいる花園
 
 ミゾハギ(左)とクルマユリ(右)

 キキョウ

 妻の希望で食虫植物展に来たのだが、思いのほか楽しめた。蜂の巣やヤマカガシなんかも居て注意も必要だけど、それも含めて自然の姿って捉えれば良いのかな
 また違う季節に来てみたい好ましいポイントだった

 今回、来るまで近所の観光地に来たもんだから鉄道は殆どないし、ましてや飛行機なんかは微塵も出てこない紀行なわけだが、勿論ネタを全く用意していないわけではない。旅行に際して、出掛ける先をいろいろ思案した上、最終的に箱根に落ち着いたわけだが、そんな箱根にも普段はお目にかかれない鉄ネタがいくつもある、

 そんなものの一つがこれだ。湿生花園から直ぐに所にある「ラリック美術館」、その敷地内に本物のオリエント急行食堂車が保存されている。この車両、ただ保存展示されているのではなく、食堂車としての機能、つまり供食設備として使用されているのだ。食堂車と便宜上記載したが、実態はプルマンカー、つまりサロン室である
 数奇な運命でここに展示されているこのオリエント急行食堂車は1988年の秋から冬にかけて、大陸を横断し、香港から船積みされてきたオリエント急行客車編成のうちの1両。実際に日本を走ったその車両である

 当日先着制、2750円でティーセット付40分の体験乗車だ。予約は出来ないのでちょっと心配していたが、夏休みとは言え平日なのでほぼ待ち時間なしで利用できそうだ。カードタイプの乗車券を渡されて準備ができるまで待機

 まもなく、係のお姉さんから声がかけられオリエント急行乗車。乗車はデッキからではなく

 こちらの貫通扉から。こうして見ると、広軌の客車にしては車体幅は狭く思える。全長は長いが、幅が狭いので日本の在来線規格でも走行可能だったのだろうな

 お洒落なシェードランプの二人席に案内される

 既にティーセットは準備されている

 飲み物は熱いもの、冷たいもの何種類か選べたが、今日は温かいオリジナルブレンドティー。ケーキはマンゴーのムースケーキ
 
 各テーブルにはこのオリエント急行客車の説明ブックレットが置かれている。およそ鉄道車両の中とは思えない調度品の数々

 よく見たら側窓開いているな

 あの銀色のレバーでガチャコンとやるとガラス窓が下降して開くそうだ

 天井。小さなランプがたくさんついている。展示室そのものが白いのでその反射で室内はかなり明るい。天井灯とテーブルランプだけだとちょっと暗いんじゃないかな?と思う。もっとも、夜間は暖色系の灯りだけでシックでムーディな感じかもしれないけど

 窓間の壁面にはガラスの彫刻。ブドウと女性像、男性像。女性像が6種類、男性像が2種類あるそうで、車内全体では合計156枚も設置されている

 天井灯。チューリップのような形のランプシェードが特徴的

 体験時間は40分なのであっという間。最後にコンパートメントを見て退室

 外側の記録を残してゆこう。車両のNoは4158。日本国内走行時はもちろん狭軌台車に履き替えていたが、当時使用されたのはウイングバネ式のTR47。43系客車に採用されていたものだ

 車体中央には栄光のオリエント急行エンブレム。オリエント急行と言えばこのエンブレムだが、正式にはオリエント急行含む豪華列車を多数運行していた「国際寝台車会社/ワゴン・リ社」のエンブレムである
 この車両は1929年に製造され、パリと南仏コートダジュールを結ぶ「コート・ダジュール号」として活躍を開始した。当時、パリで活躍していたガラス工芸家のルネ・ラリックがその内装を手掛けたことでこの美術館への寄贈という未来にまで繋がったのだろう

 サイドボード。ノスタルジー・イスタンブール・オリエントエクスプレス

 車体裾の標記にはSBB「スイス国鉄」の文字も見える。最後にこの車両を保有していたのはスイスのイントラフルーク社なのでSBB標記があるのだろう

<閑話休題:日本を走ったオリエント急行>
 先述の通り、オリエント急行客車が日本全国を走りまわったことがあった。フジテレビの開局30周年記念企画として発足し、日立製作所とJR東日本始めJR各社の協賛によって実現した
 オリエント急行の「オリエント」は「東洋」を意味している。にもかかわらず、運行はトルコのイスタンブールまでであり、実際は「東洋」にまでは足を踏み入れていなかった。イスタンブールは東西の境目になる町として古くから栄えたところだが、ここを越えて運行されてこそオリエント急行の本来の姿であると言えよう。国際寝台車会社の所有する車両による長距離寝台列車は各時代、各方面に多数が運行されていたが、正調のオリエント急行としてイスタンブールまでを結んでいた便は1977年に廃止さている。これは第二次大戦後の航空網や自動車交通の発展による利用客減少によるものだった
 そんなオリエント急行がVSOE社の手によって定期運行を再開させることになり、その特別番組をフジテレビで製作したのが発端だった。番組製作したプロデューサーは「オリエント急行なのに東洋まで来ないのはおかしい」、しかし「ただ持ってきて日本で走らせてもヨーロッパの豪華列車が日本を走った」域を出ないとして、大陸横断して東洋までやってくるオリエント急行の本来の姿を実現できないかと運行会社に働きかけたのだった
 オリエント急行客車を使用してイベント列車を運行している会社はヨーロッパ内に数社存在しており、当初は定期運行を復活させたVSOE社に協力要請した。しかし、企画実現間近になり社長交代など方針が転換し、高額なリース料など条件が合致せず企画も頓挫寸前になってしまった。そこで、別の運行会社であるイントラフルーク社に問い合わせたところ快諾を受け、晴れてオリエント急行は日本国内を運行できることになったのだった
 1988年9月7日、9時40分、パリ・リヨン駅を230G形蒸気機関車に牽引されて出発したオリエント急行は各地での観光停車や台車交換のメンテナンス等を行い、9月26日、14時45分、香港の九龍駅に到着した。走行距離は14600kmにも及び、一つの列車が乗り継ぎなく走った最高距離の下ネス記録を樹立した。香港では27日から28日かけて船積みされ29日には日本に向けて出港、月が替わって10月6日に下松港に入港し、日立製作所内で日本国内運行の為に整備が実施された
 10月16日には山陽本線下松~下関間で試運転を行い、翌10月17日、国内発の営業運転として広島発東京行の列車が仕立てられた。広島を18時36分に出発した列車は翌日、10時30分定刻に東京駅9番ホームに到着し、パリからの15494kmの旅に終止符を打った。その後、オリエント急行は青函トンネルを越え札幌、関門トンネルを越え熊本、瀬戸大橋を越え高松までと文字通り日本全国を走り回ったのだった。ツアー代金は国内旅行としては破格の高額だったそうだが、どの列車も高倍率で抽選となった
 そんなオリエント急行を東京駅で見学する機会に恵まれた

 牽引機はEF65 1107号機。牽引機と場所から割り出したところ、1988年の12月4日と判明した。列車は9112レで前日12月3日、16:44に九州博多を発ち、鹿児島本線、山陽本線、東海道本線と走行し14:26に東京駅に着いたもの
 隣の東海道本線113系、特急型改造のグリーン車も懐かしい。車体断面や屋根高さが異なるので編成中で異彩を放っていた。座席定員が少ないので、利用者からは不評だったそうだ

 最後尾はマニ50 2236。オリエント急行客車の連結器はヨーロッパで主流のバッファー式なので、日本の機関車とはそのままでは連結できない。そのため、編成の前後に日本の客車を連結し、この客車の連結器の片方をバッファー式、もう片方は自動連結器のままとして運行できるように小改造が施された
 このマニ50 2236は側面に金色のラインを入れられており、写真からも判る通り尾灯周りも白く塗られていた
 逆側は20系客車の緩急車だったオハネフ23を改造したオニ23 1。こちらは機関車次位だったため写真は撮れなかった。当時、20系寝台車はほぼ現役を退いており、1986年の急行だいせん、ちくまからの撤退で定期運用は消滅していた。そんな中、1両きりとは言え豪華列車に連結されて運行された当車は20系寝台客車最後の晴れ舞台だったであろう。マニ50は種車とほとんど変わらない全体ブルーの塗装だったが、オニ23は白とブルーのツートンカラーに塗られて編成中にある食堂車のような装いになっていた

 この日の編成は東京←EF65 1107+オニ23 1+3909A+1986M+3354+4158DE+4164E+3351A
                                  +3542A+3480A+3537A+3472A+3487A+マニ50 2236
 であった
 赤字の4158DEがラリック美術館に来た車両だ

 画面下にちょこっと写っている「NT」の文字でRESTAURANTカーだと判る。No。3354で「プレジデンシャル」の名を持つフランス大統領専用車だったことがある。国内運行時は想定よりも重量が大きいことが解り、急遽不要な冷房設備を取り外して運行された

 車両はちょっと判らないな。コンパートメントっぽいので寝台車のうちの1両だろう。寝台車は6両が連結されて運行された。3351が2人用個室10室、他の5両、3542、3480、3537、3472、3487は1人用個室4部屋に2人用個室6部屋の構成だった

 幼き日のうきはとワゴン・リ社の向かい獅子エンブレム。何しろ鉄道ファンじゃなくても大人気で大フィーバーだったオリエント急行なので走る、展示されるとなると大挙して人が押し寄せた。今の鉄道ファンがイベント列車に群がるのとは明らかに客層が違うわけだ。そんな大観衆の中なのでそんなに列車には近寄れずこんな記念写真を撮るにも大苦戦。あちこちウロウロできなかっただろうから、この写真と、一個上の写真は恐らく同じ車両であろう
 当時は小学生だったので、沿線で撮影なぞもってのほか。そもそも、どうやってその日に東京駅にやってくるが判ったのか?きっと好きものの親父様が何処からか聞いてきたんだろうな・・・・・・
 オリエント急行は全ての日程を終えたら早々にヨーロッパへと帰って行ったが、国内運行の際に貼り付けた所属ステッカーは「日本を走行した証」として消さないと所有会社が宣言して持ち帰ったので現在でも残っているのだろうな。今度はこちらがヨーロッパに見に行きたいな(伏線w)なお、権利の問題で2009年以降「オリエント急行」を名乗れなくなり、日本を走った車両たちはその後行方知らずに・・・・・・かと思ったら、2017年にポーランドで編成ごと留置されていることがグーグルマップに写っていたことで発見されるという奇跡が起きた。鉄道会社もどこに行ったか分からなかったというくらいだから相当な奇跡だw
<閑話休題周終>

 オリエント急行を堪能したら、ラリック美術館も堪能してゆくよ
 1860年4月6日生まれ、1945年5月1日没のフランスのガラス工芸家、ルネ・ラリックの作品を多数展示している美術館。ガラス工芸だけでなく、金細工、宝飾デザイナーとしても一世を風靡した

 入り口横に置いてあるクラシックな貨物自動車。ナンバーが付いているので公道走行できるのだろうか?
 英国の商用車メーカー「アスキスモータース」製のバン。フォードトランジットのシャシーにレトロデザインの車体を架装したもので1982年から製作された。この車両は1989年式だそうだ

 有名なフォードT型が展示されている。ボンネットの先端に付いているカーマスコットがガラス製。この博物館のテーマ、ルネ・ラリック製作のものということで、ここに展示されている
 
 美術館内は基本的に撮影禁止だが、エントランスからすぐのこの一角だけは写真撮影が可能だった
 美術館を要約すると
・昆虫の描写が凄い
・化粧水瓶が凄い
・ガラス彫刻に傾倒していた芸術家
 であろうか。1時間程度で全部見れるので箱根旅行の際に訪れてみるのも良いと思うよ

 小休止の美術館中庭。概ね、予定していた物は見たし、体験したので帰宅方向へと
 また小田原方面に戻ったのでは面白くないので、乙女峠を越えて御殿場へ
 裾野を走りまわり小山から246号線で松田、秦野へ。秦野のドンキに寄って、東海大学前にガストで遅い昼食か、早い夕食かを済まして

 パチパチブルーハワイのデザートも追加

 届けるにゃーん

 金目から伊勢原、平塚のドンキにもう一回寄って義実家に帰着。圏央道が無茶苦茶混んでいたので、湘南から八王子への帰りは一般道で

 二日間の走行ルート概要

 了