甲武奥多摩紀行


<2024/8/2>

 ぎりぎりまでどこへ行くか迷ったが、指定席特急券が取れたので仕事明けのんびり出発

  新宿→赤羽:モハE232-7028 9:42発 963K 各駅停車「大宮」

 新宿始発の列車なので空いている

  赤羽→大宮:モハE233-3635 9:55発 1842E 普通「高崎」

 そのまま乗っていても勿論大宮には行けるが、高崎、東北本線の方がショートカットだし駅数少ないのでちょっと早く到着できる
 東京駅での乗務員トラブルの影響で5分延の列車。乗って来た埼京線は9時57分着なので、本来は乗り継ぎできない列車
<大宮>

 ひさびさに野田線。なによ、アーバンパークラインて。というか、せっかくカッコいい線名考えたんならもっとアピールしなさいよ
 吊り掛けの5070系が走っていたころにはよく訪れていたが、廃車後は足が遠のいていた

  大宮→七里:モハ8271 10:27発 各駅停車「柏」

 あれほど走っていた8000も、もう支線区でしか乗れなくなっている。私鉄最多製造両数を誇った8000系もだいぶ減ったのかな。編成短縮されて800や850とかになっているのもあるしね
<七里>
 
 乗って来た列車。柏方先頭の8171。七里は降りたこと無さそうだったので降りてみた。時間余っているし、次が新型の60000系なので乗り換えたかった

  七里→春日部:61616 10:42発 各駅停車「春日部」

 中々やって来ないな?と思ったら大和田~七里間の踏切道で安全確認をしていたようだ。5分延で到着
 60000系は初乗り。本線向けの50000系をベースに2013年から15年にかけて6連18編成、108両が製造された、現在のところ野田線専用形式が本車。2080系など野田線独自の形式が入ることはあったが、完全新造の新車が投入されるのは驚愕の事態だった
<岩槻>
 
 岩槻に到着した61616

 遅れているのでここで後続の船橋行急行退避。先行する急行の61612F
 いつの間にか野田線にも急行が出来ていたし、なんなら柏を越えて船橋まで全線通しの列車なんかなかったのに
 急行の方が勿論先に春日部に着くわけだが、春日部で時間を持て余すので、そのまま各停に乗って行く
 退避しないはずの列車を退避したので10分延になった
<春日部>
 
 時間があるのでいったん改札を出てコンビニへ行ってくる。朝からまだ何も食べていない
 春日部駅は高架化工事真っ最中で、伊勢崎線浅草方面ホームと、東口が仮駅になっている。野田線ホームなんかはまだ昔のままだが、工事の進捗次第で近い将来には大変貌を遂げるだろう

 新製春日部駅のイメージイラスト。もちろん、現実にはこんな風にはならないが、イメージボードってやつだな

 東口側、トイレとエレベーター前のスペースに置かれていた

  春日部→浅草:N102-5 11:42発 特急スペーシアX2「浅草」 2号車7D プレミアムシート


 今日の最終的な目的地は羽田なのだが、これに乗りたいがために逆の埼玉までやってきた
 東武のフラッグシップ、スペーシアを置き換える為に増備が開始されたスペーシアXことN100系である

 せっかくだから1+2列のプレミアムシートに
 午前中の日光、鬼怒川方面行スペーシアXは大人気で平日でも取り難いが、上りなら空いてそうだと公式サイトを調べたら直前の予約にもかかわらず選び放題だったので試乗に出掛けてきた次第だ
 N100は100系スペーシア後継として2022年に登場。個室など従来車を踏襲しつつ、展望スペースのコックピットラウンジや、今回乗車したプレミアムシートなど在来車とは一線を隔した設備とされた
 6連4本が導入予定で、100系スペーシアの6連9本の半分にも満たないが、特急運用の大半が500系リバティで賄われるようになっているので、4編成でも十分なんだろう

 リクライニング機能は電動化されている
 夏休みなのでうきはと同じように春日部から乗り込んだ試乗目的の家族連れも多い
<浅草>

 30分ほどで浅草に到着。折り返しはスペーシアX7号鬼怒川温泉行となる。浅草駅では大勢の乗客が待ち構えていた

 浅草~北千住運用の普通、11601。10000系6Rバージョンのトップナンバー編成だったので撮影しておいた

 浅草はインバウンド多いな。街を抜けて、都営浅草駅へ

  浅草→羽田空港:5504-8 12:30発 特急「羽田空港」

 特にえり好みすることなく、最初に来た羽田空港行に乗り込む

 羽田空港第2ターミナルに到着

 平日、金曜日だが夏休みに突入しているので混雑している

 取り敢えず、展望デッキに上がろう。プッシュバックを開始したB787-10、JA892A。那覇行のNH473。所定13時10分発だが、プッシュバック開始は40分過ぎ、30分以上遅れているな。長胴形の-10は国内でも長距離路線にアサインされることが多いので中々搭乗機会に恵まれないな。それなりに数増えている筈なのだが

 陽射しを遮るところはなくクソ暑いが、一眼レフ出して撮影開始。広島行NH679、B777-200ER、JA713Aのテイクオフロール

 ニューアークからUA131として到着したユナイテッドのB777-200ER、N76010。B777も古い200はERも含めて退役傾向にあり、国際線ではほぼ米国キャリアが使用するに限られている

 ユナイテッドに続いて降りてきたのはロサンゼルスからのAA27便、B787-8
 時差の関係で午後から夕方にかけては北米キャリアの動きが活発。路線数も多いので、ユナイテッド、デルタ、アメリカンは多数が飛来する

 スカイツリーとAIRDOのB767を撮影したら機材をいったんしまい込んでターミナル屋内に。時刻はまもなく14時

 出発ロビーに降りて、一番北側の端、ターミナル直結のホテル、エクセル東急にやってきた。今回の主目的はこのホテルにチェックイン開始と共に乗り込んでホテルの部屋から飛行機を眺めるというものだった。飛行機が見えないと意味が無いので、調べに調べつくして、金をかけて絶対に滑走路側の部屋になるようなグレードの部屋をチョイスした

 選んだ部屋はデラックスダブル。エクセル東急は過去にも泊ったことがあるが、シングルをチョイスしたため西側(第1ターミナル向き)だったため飛行機は良く見えなかった

 今回の部屋は5階で東向きなので目の前に第2ターミナルのランプエリアが広がる。ちょうど59番スポットの目の前で狙い通り
 
 買っておいた空弁、石狩鮨でお腹を満たして、撮影続行だ。今度はエアコン効いた部屋で座りながら快適に撮影できるぞ。さぁ、かたっぱしから行こう!

 丁度内側に入ってくる航空機は目の前を曲がってくる。宮古からのNH1080便、B787-8、JA809A
 かつての宮古なんてのは南西航空が石垣経由や那覇経由で細々と結ぶだけのローカル線だったが、現在は大手2社が羽田直行便を運航しているし、昔からは考えられないような大型の機材が使用される路線に成長した

 大量に撮影した(ゴミ箱行きしたものも含めると1000枚近く)ので全部紹介するわけにもいかないがスペシャルカラーとかを中心に
 スカイマークのポケモンSP。B737-800、JA73NG。札幌千歳行BC717便

 初めて見たホンダジェット。JA121A。詳細はわからないが、国内法人が所有しているようだ。フライトレーダーで見ると函館から飛来している。このあと、同日中に成田に飛んでいる

 ダラスからのJL11。B777-300ER、JA740J。日航のB777は国際線だけ、それも-300ERのみになってしまったので、撮影できるときに数を稼いでおかなければ。これらも近い将来A350-1000等で置き換えられてゆくだろうし

 札幌・新千歳行NH67のテイクオフロール。B777-300、JA751A。国内線最大機材なので高需要路線で引き続き使用されているがこのJA751Aは1997年リリース、-300では2番目の製造機体なのでいまだに飛んでいるのが不思議なくらいだ

 高松からのNH536。A321-200neo、JA149A。A321はスマートで昔から好きな機体なので見かけるとついつい撮影してしまう

 海上保安庁のファルコン2000、JA757A。2020年導入で愛称は「わかたか1号」。フランスダッソー社製ファルコンといえば3発リアエンジンのビジネスジェットだが、このタイプは双発

 ロサンゼルスからのUA39。B787-10、N14016
 風が変わってランチェンした。昔はB747が飛んでいた(747じゃなければ飛べなかった)路線も長胴型とはいえ中型双発機が飛ぶ時代。各社が飛ぶロス線だが安定した需要はあるので、-8や-9ではなく最大の-10が投入されている

 札幌新千歳からのHD24。B767-300ER、JA607A。ポケモンロコンジェット。スターボードは黄色ベース

 ポートサイドは水色でデザインが違う。ポケモンラッピングと言えば全日空のお得意だったが、最近は他社でもリリースされている。昔は契約の都合で1社しかできなかったとかあるのかな?

 ベトナム、ハノイからのVN384。B787-9、VN-A861。2000年代初頭くらいまでは西側製機に交じってツポレフやアントノフを使用していたベトナム航空も、今では長距離国際線は787やA350を投入する。機材のラインナップは最新タイプばかりで機齢は若く航空に関しては先進諸国と比べても遜色は無い

 沖縄那覇からのJL908、A350-900、JA05XJ
 もう完全に幹線の主力になったA350。1月の事故は衝撃的だったが、現在15機受領、14機運行中。事故で喪失したJA13XJの代替機は2025年中に受領すると言われているが、これを含めて国内向けは3機が発注されている。他に国際線向けも20機が発注されており、完全国際線向けの-1000と併せて大型機ファミリーを形成している

 デトロイト行DL276。A350-900、N502DN
 どうしてもボーイングが強い(特に大型機)米国においてエアバス機を多数使用するのがデルタ。合併したノースウエストもエアバス機を好んで使用するなどヨーロッパ機に対する敷居が低い会社なのだろう。太平洋路線も一部がB767だがその他はA330やA350で運航されている

 シンガポール・チャンギからのSQ632。A350-900、9V-SHD
 成田線にはB777-300ERや時折A380も飛来するが羽田はそれより1まわり小型のA350が主力。エアバスの大型機を好んで使うエアラインがA350の導入を進めているので羽田で各社の機体を見る機会が激増している

 上海・浦東からのFM895。B787-9、B-20D8。中国は大小様々な会社が日本にやってきているが、最近は787の投入も多い

 ワシントン・ダレスへ向かうUA804。B777-200ER、N794UA、スターアライアンスカラー
 ユナイテッドのスタアラカラーは初めて見た。エンジンカウルはユナイテッドの現行カラーで他車のスタアラ機とは異なるアクセントになっているな

 フランクフルトからのNH224。B787-9、JA875A
 今日はスタアラカラーが豊作だ。国内キャリアでも国際線向けの機材は捕捉が中々難しい。875Aもきちんと見たのは初めてではなかろうか?

 シアトル・タコカ行DL166。A330-900neo、N419DX
 A350だけでなく、A330も引き続き飛ばすデルタ。最近は最新型の900neoの投入も多い

 1時間遅れの沖縄・那覇発JL910。A350-900、JA15XJ
 国内向け当面の最終号機はワンワールドカラーで登場した

 北京からのCA167。A330-300、B-5901
 中国系は距離やキャパシティの都合からA330を好んで近中距離路線に投入する。エアチャイナのA330なんて日本の国際空港ではもっともポピュラーな機材ではないだろうか

 ニューヨーク・JFK行AA168。B777-200ER、N789AN
 午後に北米からやってきた機体は夕方にはまた太平洋を越えて帰ってゆく。ギラギラのベアメタル(無塗装)がアイデンティティだったアメリカンも複合材が多い最新鋭機に併せて胴体を薄いグレーに塗るようになった

 VP-CKG ケイマン諸島籍の737-7JB。出発地は不明

 B737-700をベースにしたビジネスジェットで、いわゆる「BBJ/Boeing Business Jet」と呼ばれるタイプ。小型のビジネスジェットに比べれば遥かに居住性が良いので、エアバスのA319ベースのビジネスジェットと共に一定の人気はあるようだ

 大阪・伊丹からのNH34。B777-200ER、JA743A、スターウォーズカラー
 さすがに陽が落ちてきて撮影が苦しくなってきた

 トロント行AC2。B787-9、C-FVLX、ディズニーWISH
 スペシャルカラーだから一応撮影したが、もう見れたもんじゃないな・・・・・・

 厳しい!!サンフランシスコ行UA876。B777-200ER、N793UA

 撮影を切り上げてもう一つ買ってきた空弁を出してくる

 政府専用機型、飛行機型弁当だ

 子供向けだから内容量はささやかだなw

 ニューヨーク・JFK行JL2。A350-1000、JA02WJ
 今日は-1000を見かけなかったので、練習がてらスローシャッターで流し撮り。夜間の流し撮りは光源が多い国際線ターミナルか第1ターミナルからの方が良さそうね

 スポット側は比較的明るいんだけどね。B787-9、JA937A

 プッシュバックするB777-200ER、JA742Aを撮影して打ち止めとしよう


<8/3>

 思いのほか逆光だな

 朝は北向き離陸のようだ

 B777-300
 狙っていたロンドンヒースローからのBA007、A350-1000は後側のAランに降りちゃって撮影出来なかったので、今日の予定を考えつつ支度開始

 チェックアウトし、B1階の立喰そば・つきじ亭でかき揚げ蕎麦を食べてから京急駅へ

  羽田空港→品川:7501-8 8:54発 急行「印旛日本医大」

<品川>

 品川に到着した7501-8

  品川→新宿:モハE234-24 9:20発 821G 「山手線・外回り」

<新宿>

 新宿からはいつもどおりの中央東線特急あずさ

 10時丁度発の定期あずさも勿論乗れたんだけど、せっかくなので臨時便をチョイス。急いではいないので、あわよくばE257であればと思ったが、JR東日本の臨時列車運転情報では353であることが明記されていた

  新宿→立川:サロE353-4 10:04発 8083M 臨時特急あずさ83「松本」 9号車8D グリーン車指定席

 2時間前はかなり空席あったけど、発車後のアナウンスでは満席とのことだった

  立川→西国立:モハE233-8023 10:38発 1032F 各駅停車「川崎」

 先発は快速だったが、西国立停まらないので次発の各駅に
<西国立>

 久々にやってきた西国立。むかし立川機関区の跡を調査するのに訪れて以来かな?
 
 駅を出て北東へ歩く。駅からすぐのところにある寺院、立川山・正楽院

 綺麗に整備されていて気持ちの良い空間

 真言宗智山派の寺院で大正13年に開基。多摩88ヶ所霊場、26番札所である
 頻繁に来ないような土地で、目についたものはなるべく拾っていきたいと思う
 さらに5分ほど歩いて、中継地点の「湯倉亭」に突撃。ここからは

 ステルス、Will VSで発進だ
 渋滞情報を見ると、八王子JCTを中心に相模湖東まで各方面から渋滞。中央道への進入は相模湖ICからと決め、八王子市内を一般道で通過、大垂水峠を越える
 八王子市内も、2日から4日まで行われる八王子祭りの交通規制で14時以降各地が車両通行止めになるので危ないところであった
 予定通り、相模湖から中央道に入り西進。渋滞情報通りここでは既に渋滞は解消されていた

 どこも混んでて、小さな藤野PAですら誘導員がいるような始末。結局、韮崎手前の双葉SAでやっと手洗い休憩
 韮崎ICで中央道と別れ一般道へ、南へ曲がり釜無川の河岸段丘を降りてゆく

 一ツ谷交差点脇の店舗に鎮座していた原付ミニカー。かわいいな、こいつ♪

 こんなシティコミューターEVらしい。1人乗りで最高速度60km/h。1充電での走行距離は100km。まぁ、近所への買い物需要ならこれで十分だわな。なお、エアコンはオプションらしい
 そもそも「OHSEI」というメーカー自体なんぞや?というところだ。漢字では櫻星と書く。読み方から察することが出来る通り、在日中国資本の企業体のようだ。このEVを製造販売しているのは櫻星超能電池株式会社という傘下企業で、本社は東京都台東区柳橋にあるようだ。走っているのを見たことがないが、売れているのだろうか?
<韮崎中央公園>
 おもわぬ原付ミニカーの発見で脱線したが、今日の第一目的地、韮崎中央公園に到着した

 ↑これの完成形を見るためだ。荒廃もともかく、塗装が現役時代とかけ離れたものにされており、このまま朽ちて行ってしまうのだと思っていたのだ

 もうさっそく現車と対面だ。2013年に訪れて見学撮影をおこなっていたが、きちんとブドウ色になるとバチクソカッコいいな!!

 展示機はEF15の198号機。1947年から58年にかけて製造された貨物用機関車がEF15で総数202両が登場した。この198号機は最終増備グループにあたる
 稲沢区や米原区など東海道線系統で使用された後、1978年から八王子機関区、1983年から立川機関区(さっき行った西国立駅横にあった)に配置され1986年に廃車となっている。説明看板では「本邦最後の1両」とあるが、同年11月改正まで阪和、紀勢本線の貨物運用を龍華機関区のEF15が担っており、この辺の真偽は微妙なところだな。なお、再近隣である甲府機関区のカマは身延線で使用されていたが、これは1985年に引退しているので、JR化間際、国鉄最末期に一斉に使用を取り止められたのは確かだ

 同機の存在を知った後、雨ざらしでの保存で状態は良くは無いとの話だったので訪れた2013年3月21日。パンタグラフまで薄い茶色に塗られたEF15は確かに現役時代とは違う出で立ちだった。錆止め塗装を塗っただけで放置されたような、そんな印象を受けた

 今回の補修では現役時代と同様のブドウ色にするのはもちろん、パンタグラフも実車のような銀色に塗られた

 後よりのデッキ

 EF15は貨車3両と車掌車が連結され、少しカーブして展示されている。さながら往時の貨物列車を再現するように。身延線なんかではこんな感じの小規模な貨物列車が実際に走っていたのだろう

 最後尾のヨ14041。どっちから読んでも同じ番号だw
 1959年から68年にかけて1000両強が改造、または新製された車掌車がこのヨ5000である。従来の主力車掌車、ヨ2000やヨ3500が75km/h対応だったのに対して、貨物列車の高速化を目指して85km/h対応とされた
 この14041は1967年以降にヨ3500を2段リンク化し原番号+10000の車番を付けてヨ5000に編入されたグループである

 デッキから車内を撮影する。車内は木製の壁面、屋根。長椅子にダルマストーブと言うヨ2000以降の標準的な構成。トイレは設置されておらず、それはこの後のヨ8000になるまで待たねばならなかった
 今回はEF15だけでなくヨ5000や連なるトラ70000も補修対象になっているが、外装の補修がメインとなっているようで、車内は少々荒れたままの状態になっている

 車掌車側のトラ75013

 真ん中のトラ74778

 機関車側のトラ72379
 トラ70000は1967年から製造された17t積みの無蓋車で、国鉄が開発した2軸無蓋車の最終形式である。トラ70000~75099の5100両が製造され、同時期に製作された短軸のトラ55000と共に従来の無蓋車の大半を置き換えた
 
EF15の中をガラス越しに頑張って撮影してみる。運転席である。機器が揃っているかはここからでは解らない。全体的にすごくきれいで、座席も綻びが無い。内装は木製である

 デッキ扉から中央部分を。中央部分にも座席らしきものが設置されているんだな。背もたれは無いので簡易的な便乗用だと思うが、取り敢えず2人くらいは腰掛けることが出来そう

 助手席側。機器室は解らないが、運転台は補修されたのかな?ほこりや蜘蛛の巣などは綺麗に取り除かれている感がある

 貨車と連結している側の運転台。助手側から運転席を眺める。パッと見、現役の電気機関車のように見える

 トラに乗り込んでみる。編成横の見学台から乗り込める。よく見たら側扉は撤去されたのか、見学台と固定されているな

 連なる貨車。貨車に乗って営業線を走ってみるって鉄道ファンの夢の一つだよねw

 床板は鉄板貼り直している感があるね

 ついでにちょっと離れたところにあるC12 5も見てきた。前に来た時よりも劣化が進んでいる
 見る物は見れたので、ここから笛吹市の次の案件までの間で拾っていけそうなものを思案する。取り敢えず、甲府方面に向かいつつ、釜無川沿の20号線を東進し、甲斐市双葉のショッピングモール「ラザウォーク甲斐双葉」駐車場へ
<日本航空学園>

 道端に突然現れる複葉機。見るからに飛行不能なレプリカだが、エンジンや機体構造などかなりリアルに作られている

 旧軍のいわゆる「赤とんぼ」と呼ばれる練習機を模してある。厳密に再現されているわけでは無いだろうが、概ね旧海軍の川西九三式中間練習機、ないしは陸軍の立川九五式一型練習機であろう
 同地にて運営されている航空関連学園、日本航空学園の生徒らの手によって2000年前後ごろに製作されたという。さすがに航空関連学校の生徒さんたちが作っただけあり、リアルなのも納得できる
 余談だが、九五式練習機を開発した立川飛行機、現在の立飛ホールディングスが同機の飛行可能なレプリカ機を開発製造するプロジェクトを2014年に立ち上げており完成が本年ごろと予定されている。3機が製作予定なので、各地の航空ショーなどで赤とんぼの編隊飛行が見れるようになるかもしれない。期待大である
 赤とんぼは学校のランドマークの一つとして展示されているが、学校近傍には他に多数の実機も静態展示がされている

 学校は学園祭などのほかは基本的に非公開だが、展示機の一部は沿道から見ることが出来る。黄色い尾輪式の練習機は自衛隊で使用されていた初等練習機、ノースアメリカンT-6テキサンである

 露店係止だが適宜修復されているのか状態は悪くない。この52-0041は1955年に航空自衛隊に供与され、1965年まで使用されたのち民間貸与されている。所属基地の情報がほとんど出てこないが、「矢の目基地」で撮影された写真がネットで発見できた
 矢の目基地というのは現在の仙台空港で、かつては矢の目飛行場と言った。1954年からT-6での操縦訓練が臨時松島派遣隊によって松島基地で始まったが、同隊は1955年に第二操縦学校と名称変更され、翌年には矢の目に第二操縦学校分校が設置された。戦後10年ほどを経て、自衛隊操縦士の拡充が急務だった時期だ
 このころ、T-6は旧式のレシプロ機ながら癖のない操縦性、稼働率の高さから180機が米軍から供与されて航空自衛隊パイロットの養成に活躍した。なお、海上自衛隊でも延べ52機が導入されており、戦後黎明期の日本の空には200機以上のテキサンが飛び交っていたことになる。尾輪式なのが昭和30年代だとしても時代にそぐわない点で、以後はより高性能なビーチT-34メンター、その国産発展機富士T-3に取って代わられてゆく。1970年代初頭にはT-6の使用は停止されたが、数が多いので各地で静態展示機を見ることが出来る。また、静浜基地の011号機は唯一の動態保存機でエンジン稼働可能、飛行も可能だと言われている

 テキサンの奥にあって全景が上手く撮れなかったF-86D「セイバードッグ」04-8205機
 本格的なジェット戦闘機となったノースアメリカンF-86Fだったが、本機には全天候能力(つまり悪天候下や夜間での飛行能力)が無く、これを解消するために機首にレーダーを搭載したものがD型、セイバードッグだった。自衛隊でも86Fの435機には及ばないものの、122機が供与され自衛隊の作戦能力の向上に寄与した。86F程ではないが各地に少数静態展示機が残されている
 この205号機は1960年に供与され、シャチホコマークが特徴の小牧基地、第3航空団第101飛行隊に配備され1968年の用廃まで使用された。展示機にも当時のシャチホコマークが残されている

 実家の上を最後まで飛んでいたので自衛隊練習機といえば一番馴染みがあるロッキードT-33シューティングスターである。前身は単座のF-80戦闘機でセイバーよりも前に初飛行しているので非常に息の長い飛行機だった
 航空自衛隊では開隊当初の1954年から68機の供与を受け、更に1955年からは川崎航空機でライセンス生産された機体が210機準備され訓練や各種用務飛行に供された。訓練任務は後継機であるT-1やT-4に受け継がれていたが、多数が配備され1機ずつの飛行時間が短く耐用限度まで余裕があったことから90年代に至るまで各基地に少数ずつ配備され続けていた
 この228号機は川崎生産分で1956年に航空自衛隊に引き渡され、第9飛行隊、第35飛行隊、第306飛行隊を経て1992年に入間の総体飛行隊で用廃となった。うちの上も間違いなく飛んでいた機体だな
 T-33は世界的に見ればまだ飛行している機体もあるが、航空自衛隊では1999年に燃料配管の不具合で入間川河川敷に墜落する事故を起こしており、事故後残っていた8機は飛行停止され、そのまま2000年に全てが用廃となった。なお、事故が無ければ耐用限界の2002年までは運用を行う予定であった
 以上、沿道から撮影できる3機を確認してショッピングモールに戻った。遠くにF-104が見えたが、どうせ綺麗に撮影出来ないし、めんどくさくなって一眼レフを車中に残してきたので記録していない・・・・・・

 昼食がまだだったので猛暑にやられた身体を冷やすついでに、フードコートの「そば茶屋」でそばと卵とじ丼を食べる
 モール出発後は竜王駅前、甲府電留線、甲府駅前などを経由して

 グリーンタウン甲府東内にあるホビーオフにタッチアンドゴー。限られた人口の中で回るリサイクル品は掘り出し物が出る可能性は限りなく低いと言わざるを得ない

 一宮IC西交差点付近の店舗で見かけた「水中メガネ」ことホンダのZ。ちょっとこれだけでは前期のN360型か中期以降のSA型かは解らないな
 御坂みち、下黒駒北交差点を左折、金川を市之蔵橋で渡った先、河川敷沿いに

 小田急2200は鎮座している

 外から撮影は容易だが、敷地内なので非公開。手入れは近年されておらず塗装は褪せ、はがれ始めている
 小田急登場時のツートンカラーに塗られているが、小田急から県下の私鉄、富士急に譲渡されたのちここへ静態保存された。富士急時代の番号はモハ5707で小田急時代の原番はデハ2212である
 小田急2200は1954に入線した同車初のカルダン駆動を採用した高性能通勤電車で2連8本が登場した。正面非貫通2枚窓のの丸みを帯びたデザインから「ネコ」と呼ばれて親しまれた。続く4両固定編成は貫通扉付きとなり、形式は2220形を名乗った。59年には2200形が増備されたが、前面デザインは貫通型を踏襲している。このため2200のうち2217と2218のみデザインが異なる
 その後の2300や2320等と共にABFM車と呼ばれ小田急全線で活躍したが、1980年代から8000系等に代替され廃車、一部が他社に譲渡され小田急での運転を終了した
 先に廃車された元特急車の2300と共に、2200としては最初に廃車され富士急に譲渡されたグループとなった
 富士急ではそれまでの吊り掛け駆動車を置き換えていったが、非冷房であり経年から90年代末には京王5000系の譲渡車によって置き換えられ、5707-5708編成が企業に引き取られて県内に展示されるに至ったのだった。なお、富士急では各タイプが2連に組み直され譲渡されたが、ここに展示されている編成のみが正面2枚窓で、あとは貫通型だった

 以前は「一宮町行」なんて表示だったが、現在は「江ノ島|箱根湯本」の小田急時代の行き先を表示している。オリジナルの幕の一面なのか、この駒だけ貼り付けられているのかはわからないな・・・・・・

 2013年4月18日に訪れた時の同車。再塗装された直後でピッカピカの新車のようだった


 どうやらこの電車、解体予定らしく、鉄道車両を集めて展示している千葉県の施設へ移設するためのクラファンが実施されている。この時点で目標金額には達しているので、いつの日か千葉県へと向かうものと思われる

 編成を組んでいた5708、元デハ2211は工場敷地内奥にあって、外部から観察することは叶わない。お色直しをした時期が異なるので、こちらの方が状態が良いようだ

 山と川、緑に囲まれた長閑な一角に都会生まれの電車は保存されている。もうしばらく、ここでその姿を楽しめることが出来る

 小田急の見学、現状確認をもって、本日予定していたプログラムの全てが滞りなく完遂できた。これから東京方面への帰途に掛かるわけだが、この位置からだと概ね3つのルートが想定できる
 
1:20号甲州街道を東進する
2:御坂みちを経て河口湖から道志道を東進する
3:塩山から青梅街道を経由する

 往路道中でちらっと出てきた、丹沢、玄倉を見に行くという案は「2´」であろう。山中湖から峠を越えると駿河小山に出られるので難易度はそう高くない。しかし、丹沢周辺に到達するころには日没が予想されるので、この案は早々に棄却されることとなった
 1が最短距離かつ最低難易度であるが、これも往路とほぼ同じルートなので却下され、2または3のどちらかから選択となったことで、僕らの脳裏にはある惨事がフラッシュバックした
 
 よし、柳沢越えよう

 柳沢、つまりは塩山から北上し国道411号青梅街道を行くというものだ。恐らく距離はもっとも長いと思われるが、連休の本日では一番少ない交通量が期待できる。車はブドウ畑の丘陵地帯を東へ向かって走り始めた
 中央道をくぐって北へ。ワイナリーが左右に続く道を行くすがら、ふと「大日影トンネル」ってどうなった?という話題になった
 大日影トンネルとは中央本線勝沼ぶどう郷駅の東にある廃トンネルで、現在は遊歩道に整備されている。中央本線開通時の本線トンネルで、煉瓦の巻き立てが美しい明治期建設のトンネルである。単線時代は上下線列車が使用したが、1968年の複線化時には下り専用線化、1997年の線形改良で新ルート化されて廃止されたが、2005年に勝沼町に無償譲渡、2007年には整備の上遊歩道化された
 以降観光客向けの遊歩道、一部は冷涼な環境を活用したトンネルカーヴ(ワイン貯蔵庫)として活用されていたが、2011年に一部で大規模な漏水、深刻な老朽化進展が発見され利用が停止された。補修工事が入り2013年には再開されたが、2016年には再度の修復が必要と判断され長期の使用停止となった。最近、その大日影トンネルが再オープンしたという記事をネットニュースで見た記憶が微かにあった。調べると、本年3月に営業再開をしていた
 湯倉君が「あそこのEF64は?」という疑問を呈してきたので、「それは勝沼駅のスイッチバック跡にあるやつ」と訂正し、そういえば満足に見たことないな、ついでに行こうぜとなった。まだ大丈夫、日没までは余裕がある
 駅前の観光駐車場に車を停めると、もう目の前に青い車体が見えている

 EF64の0番台、18号機である。中央本線は山岳路線路線なので現在は廃止されたがあちこちにスイッチバック駅があった。東から初狩、笹子、この勝沼、韮崎、新府、穴山、長坂と長野県に向けてスイッチバックの連続する山岳路線であった
 EF64が置かれている場所もスイッチバックのホームがあった平場で、ホームそのものはもっと塩山よりにあるがこのあたりは機回し線があったあたりと推測される。なお、現在駅は勾配の本線上に設置されている

 おりしも下り普通列車の211系が到着した。現在線があの高さなので、このスイッチバック駅に入ってくるのにも相当高度を落としているということが解る

 このEF64 18号機は1966年に落成された2次量産機(13~28号機が該当)で1次型に装備のあった旅客列車牽引用設備が省略され貨物列車用とされ、テールランプが内嵌め大形化されるなどの差異がある
 このグループは甲府機関区に新製配置され、以後配置換えされながらも中央東線生え抜きとして貨物列車牽引に活躍した。JR化後、18号機は貨物に継承され篠ノ井機関区に配置されたが2005年に廃車され2006年に同地に保存展示された

 設置後、塗装の褪色や腐食が進行していたがクラウドファンディングを活用した募金活動で2022年に再塗装と修繕が行われた。現在では現役当時もかくやというほど綺麗な姿を見せてくれている。この状態を楽しみたいなら今がチャンスである

 とはいえ、修繕から2年経っているからちょっと塗装が流れてきているかな・・・・・・

 駅前の農業用倉庫。貨車が横付けされていても不思議はない位置と構造だが、貨物側線があった事実は無い・・・・・・

 
 薄暗くなってきた青梅街道を登ってゆく。柳沢峠は久々だ
 
 日々ルート改良されており、かつてのルートの大半は置き換わってしまったのではないだろうか。最近も2連ヘアピンカーブ区間が付け替えられてループトンネル化されたようだ。峠よりも南側は幅広の2車線区間となり通行が非常にしやすくなった。反面、運転が面白くない区間になったともいえる
 この酷暑でも峠前後は21℃と冷涼で一瞬だが高原の空気を味わうこともできた
<花魁渕付近>

 トンネル掘削とルート変更でショートカットされた区間である。一之瀬高橋トンネルを出ると岩岳橋で一ノ瀬川を渡る。東京側、橋の袂からは丹波山村でここまでは塩山市だ

 東京側を見る左手前が旧道だ。ここで、あの夜、ある惨事が起きた・・・・・・

<閑話休題・あの日あの時・2012/8/19>

 この当時はまだ独身だったので、お互い突然呼び出して夜遊びに行くなんてしょっちゅうなことだった
 この日は米軍、横田基地のフレンドシップデー、つまり基地公開日だった

 日中はF-22の展示などを見学し、非常に満足した後帰宅、そして湯倉君を呼び出したか、呼び出されたかで夕方から出掛けてきた。なぜ、あの時青梅街道を西へ走ったのかは理由は定かではない。同じ年の6月に山梨方面へ出かけた折、帰途に通過した青梅街道で「おいらん渕」を気付かずに通り越したことで、僕らの心中には引っ掛かりがあったに違いない、きっと、「呼ばれて」いたのだ・・・・・・
 普段なら、うきはが自分の車を出すであろう、しかし炎天下の中一日中横田基地内を練り歩いたうきはには夜間に車を出す気力は残っていなかった。そう、もうめんどくさかったのである
 そして、事件は起こるべくして起こった・・・・・・

 写真手前が東京都側、奥が山梨側である。我々は写真の手前から奥に向かって走行してきた。新道旧道分岐点で、ここで右へ曲がるのが旧道。新道はトンネルで一気にバイパスしている
 おいらん渕へは旧道へ入らなければならない。分岐点に到達したので、「そこ右だな」と指示。湯倉君は何の疑いもなく曲がり始めたが、曲がり方が深い
「でかい段差あるから気をつけろ!」
 と、言ったが・・・・・・

 遅かった。腹の下から鈍い音がした

 路肩の斜面、肩の部分に引っかかった。つまり、脱輪である
 このWill VSという車。4WDであるが、そんなものは役に立たないくらいに前後どちらにも進めない。フロントタイヤは斜面を掘ってしまうし、左後輪は浮いているようだ。携帯は当然圏外である・・・・・・
「詰んだな・・・・・・」
 ぼそりと呟く以外の手段はなかった

 引っかかっているのは左の中程、助手席ドアの下あたり。右は浮いている。ここを持ち上げれば脱出できそうだが、フロントタイヤは土を掘るだけで仕事をしてくれない
 上り車線に車体半分ほどが出ており危険な状態なので、まずは一般通行車両を逃がさなければならない。幸い、交通量が少ない時間帯(20時ころ)、区間であったのは幸いして二次災害を起こすことは無かったのは不幸中の幸いであった
 やげて、交通整理中にすり抜けていったシビックの兄ちゃんが戻ってくる。更に通りすがりのハイエースのおっちゃんを呼び止める。ハイエースには牽引ロープが搭載されていた!
「やってみるか」
 誰ともなく頷き、ロープを車両後端に掛けた。最初は後ろに引いて本線に上げてみるがうまくゆかない
「もうそのまま前に降ろした方が?」
 と、方針を180度転換し前方から引っ張る形に。近くにあった土嚢や木片でガイドを作ってゆっくりと・・・・・・
 苦節小一時間、皆様の尽力のお陰で無事に脱出することが出来た湯倉号。ちなみに、VSの運転席でアクセルあおりながら指示していたうきはがやらかしたオーナーだと思われていただろうな・・・・・・

 むちゃくちゃえぐれているな。深夜の山間部の国道には本当に気を付けよう

<閑話休題終わり>

 現在の様子である。雑草が生えていよいよ見難いが、ここに飛び込もうとは思わなくはなっているだろう

 斜面が削れているのか、傾斜が緩やかになっている気もする

 現在の旧道部分である。ガードレールが残っており2車線分の平場が残っているのでそれと解るが、自然に帰りつつあり知らなければ全く気付かずに通り過ぎるような地点である

 平成23年・・・・・・つまり2011年には廃道化され封鎖されている。あの惨事が起きる約1年前だ。この界隈は近所なのでしょっちゅうドライブで通過していたが、先代愛車のSA22Cで直前に旧道を通過している記憶がある。トンネルなどの工事風景は覚えているが、その後完全廃道化されるとは思ってもみなかった。負のイメージとは言え、「おいらん渕」といえば有名な観光スポットだ。通り抜けが出来なくてもどちらかからはアクセスできる道路が残るもんだと思っていた。車両が入れなくても遊歩道ぐらいは・・・・・・しかし、現実は完全の廃道封鎖。まともなルートでおいらん渕へアクセスすることはこの封鎖以降出来なくなってしまった

 橋の上から上流、おいらん渕方面を望む。鬱蒼たる森、一切の人工物が見えない山中

 真下遥かに水面が見えるが、それもこの切り取った一角だけだ。おいらん渕に行くには眼下の川を遡行するしかなくなってしまっている

 下流側も橋から正面の目線では上流側と全く変わらない。圧倒的緑の中にある

 こちらの方がやや谷幅が広いが、急峻な山中には変わりない。あの河原に降りるだけでも命の危険が伴いそうだ。現実的に、おいらん渕へ辿り着くのは現在無理だということだ
 かつてはその伝承から心霊スポットの代名詞のような存在だったおいらん渕。そこへ行こうとすると、今では過言ではなく「お仲間」になってしまう危険性が高いのだ・・・・・・
<きのこ 山菜 岡部>

 東京から丹波山を越えて人家が消えたあたり、あるいは山梨からならもうすぐ丹波山村の集落に入ろうかと言う地点。異様な露店が左右に展開している地点を知っている人は多いだろう

 昼なお暗く、交通量も希薄な国道に不意に現れる朽ちた露店、廃品、廃車の山、赤い幟

 人気は皆無なのにどこからともなく流れるラジオの音声。生きる怪談スポット、それが「山のきのこ」だ

 グーグルマップでは営業時間が書かれているが、ここで買い物をしたことがある人はいるだろうか?最近は謎のラジオ音声が流れていないが、かつては深夜でもライトが燈り、どこからともなく不気味な音楽・・・・・・声が聞こえていた
 怪談である