上信小紀行


<2022/11/26>

 18時仕事終わり。直ぐの特急に乗って新宿駅経由、夕刻の上野駅地平ホームを目指す。19時を回り、ここからは夜行列車のオンパレードだ。19:10発の東北本線経由青森行急行八甲田がトップバッター、少し空けて19:27には福島から奥羽本線経由の急行青森行津軽1号と続く。足の速い特急列車群は21時を回ってからが多いが、北海道最速達を目指す常磐線経由の寝台特急ゆうづる1号は19:50発、10分空けて20時丁度にゆうづる2号が続く。距離が短い上信越方面は20時過ぎまで待たねばならない。20:51発の信越線、北陸線周りの急行越前福井行がトップバッターだ。その間にも19時台ならひばり、あさま、ときで仙台、長野、新潟なら日着できる・・・・・・
 現実に目を向けるか・・・・・・
 新幹線開業、上野東京ライン開業で、上野駅地平ホームは完全にわき役に追いやられている。たまに上野発の中距離電車が発着するが毎時2本が走っていた常磐線方面の特急が全滅してから優等列車は一日数本の高崎線方面の近距離特急だけになった
 これらは朝夕のライナー的利用が旺盛なので、土休日には必然本数が激減する。今日、土曜日に走る列車は吾妻線に入る草津が午前中に3本だけ、残りは夕方草津で上ってきて、高崎へ戻るあかぎが2本だけだ

 すでに地平14番ホームには19時発のあかぎ5号が据え付けられていた。あかぎといえば前橋や伊勢崎へ直通していたイメージがあるが、2021年3月開業以降全て高崎止まりにされてしまった
 車輛も新特急で運行開始した185系200番台から、スーパーひたち運用を撤退し余剰化した651系1000番台に変わってずいぶん経つ。この651系もひたちに比べれば必要運用数が随分少ないのでかなり少数派になったであろう

  上野→高崎:サロ651-1003 19:00発 4005M 特急あかぎ5号「高崎」 4号車7A G車指定席


 最悪は新宿から埼京線経由、赤羽で指定列車を捕まえる算段をしていたが、なんとか始発駅から乗車に漕ぎつけられた
 今日はせっかくなのでグリーン車を奢った。651系のグリーン車は1+2の3列シートだ

 19時丁度、上野駅地平ホームをゆっくりと発車。地平ホーム華やかりしころを少しだけ偲ぶ
 乗り入れが無くなり不要な交流機器を切り離しているので、機械的にアンバランスなのか、出だしがすごくギクシャクする走りになったな。重量バランスの関係で交流機器が取り下ろされているわけではないので余計なのかな

 夕方まで勤務していたので空腹。上野駅でお弁当を購入しておいた。まい泉の「ごちそう海苔弁当」

 土曜日なので列車はがらがらのまま上野駅を発車した。赤羽、浦和、大宮と停まるが、殆ど乗車は無い。熊谷、高崎へ行く人はまず新幹線だろうし、新幹線の停まらない途中駅から、途中駅へ乗る人も多くは無いのだろう
 熊谷を過ぎると沿線の住宅もまばらになり、通過駅のホームも人気が減る。八高線が寄ってきて合流、倉賀野でEH500やEF210を見るとまもなく高崎の操車場を掠めて終点だ
<高崎>

 高崎に到着したあかぎ5号。上野から1時間28分。新幹線は平均50分くらいで走るけど、各駅停車のたにがわだと1時間以上かかる列車もあるので、風景が見れて空いてる在来線特急も捨てたものではない

 接続の吾妻線545M、万座鹿沢口行211系。奥は2分の連絡で発車する753M上越線水上行
 この辺りもみんな211系になってしまった。107系すら全て運用離脱している

 いったん駅を出て今日の宿に。高崎に泊ったことがない、というだけでここを選んだ。丁度よく在来線特急があったのも選定に作用したが

 いったんホテルにチェックインして、再度出直す。駅から徒歩数分の高崎ワシントンホテルプラザに投宿する。駅前の線路が見えそうなホテルは全然空いてないか、高額すぎてちょっと離れたホテルになった。ここだって直前まで空きがなかった。なにかイベントでもやっているのだろうか?直前に空きが出たであろうAPAホテルさんはシングル1室25000円の値段を付けていたぞ
 
 駅へ戻って、今度は上信電鉄に乗る。全線乗ったことがあるが、夜のミニトリップには中小私鉄はもってこいだな
 専用の出入り口が出来ていて、JRホームから直接行ける時代は終わっていたようだ
 
 改札へのルートはちょっと変わったけど、頭端式のホームは変わらない。0番線も同じだ
 線路の終端部には鉄道むすめの富岡しるくちゃんのPOPが展示されていた。沿線の富岡製糸工場にあやかった名前だな。最近の鉄道むすめはまったく追っかけてないので初めて見た娘だが、2015年の鉄道むすめ&SL兄弟スタンプラリーで初めて登場したそうだ

 待っていた電車は「最新」の700形だ!こちらはクモハ701

 下仁田方はクハ751。トップナンバー編成だな
 700形は見ての通り、元JR東日本の107系100番台で2017年引退に前後して6本が上信電鉄に譲渡された。2018年ごろから本格的に整備が開始され、2019年には700形として運転を開始した。現在は5本が運用に就いている。車体は新しい(といっても1989年製だ)が、足回りは急行型の165系からの流用なので、元西武101N系の500形より古い。2連5本もあるので最大勢力にして主力と言えよう。これの導入で西武のHSC改グループ150形が全廃され、自社オリジナルの200形も救援車代用として残る1両を除いて廃車された
 なお、純粋に製造年次で言えば2013年登場の7000形が同社最新で、これは昨今の電化地方私鉄では珍しい完全新規設計の車輛である。まだ乗ったことがないので帰りは乗れると良いな

  高崎→山名:クハ751 21:01発 普通「下仁田」

 元々山間部で使うことを想定して製造された165系の機器を流用しているのでガンガンに効いてくる暖房でヒザ裏が熱くなってくる頃に発車時刻
 しばらくは線形も良くないのでスピードは出さない。高崎の街を曲がりくねりながら闇の中を進む。土曜日ということもあって乗客も多くは無い
<佐野信号所>
 南高崎と佐野のわたし間にある信号所。暗闇の中で高崎行電車とすれ違う。向こうも700形だ

 烏川を渡って、根小屋、高崎商科大学前と停まって、高崎から10分ちょっと、5つ目の山名で下車
<山名>

 山名に到着。初めて降りる。数人一緒に降りた

 下仁田に向けて発車してゆく。本線が他の鉄道と異なり左右逆なのが判る。ほかの多くの鉄道は手前側の線路を使う
 
 ホームは島式1面2線の交換駅。構内踏切を通って平屋の駅本屋へと向かう

 木造の小さな本屋だが、古き良き地方私鉄の匂いが色濃く残るデザインだな

 改札横。鉄板が敷かれていたところには手荷物輸送時にはあったであろう大型の計りが置かれていたに違いない

 駅舎内。出札窓口は営業時間外。券売機などは無い。窓口開放時間中は硬券切符が買えるそうだ
 
 外に出てみる。

 駅前通りにも人気は全くない

 戻ってきた。出札窓口が開いていないのは知っていたので高崎で予め往復券を買っておいた

 高崎行電車の時刻は近づいているが乗客は現れない。ネコが一匹線路を跨いで駅舎の中に消えていった

 高崎方の小さな小さな待合室を撮影していたら、遠くから踏切の鳴動音が聞こえてきた

<閑話休題>
 上信電鉄に初めて乗りに来たのは2001年の夏だった。高崎を通過するたびに乗りたい欲には駆られていたが、21世紀になるまで結局縁は無かった。いつでも行けそうな距離であるし、吊り掛け電車だった元西武451の、100形が既に引退していたのも足が遠のいていた理由だった
 午後になって突然思い立って出てきたので、高崎から直近の電車で終点の下仁田まで一気に乗り通した

 1番線に到着したクモハ151で下仁田までやってきた。150形は3編成あるが、この第1編成が401系、第2は801、第3が701と形態がすべて異なるが性能は同一なので同形式に纏められた
 となりはデハ200。150形と共に上信の主力。番号はちょっと判らないけど、201~3のどれか

 高崎方クモハ152とクハ300の何れか。ワイパーの位置からクハ300は運転台が右についているのが解る。

 西武時代に良くお世話になった401系。ラッピングで隠されているが、尾灯周りのステンレス板も残っている

 クハ300のアップ。1次車の2連3本はデハ、クハで2連を組んでいるが、2次車以降電動車は両運転台になった。基本デザインはクハも同じだが、高崎方に増結することを考慮していないので貫通扉が付いていない

 下仁田方のデハ。こちらに両運転台の200形2次車か、250形を1両増結できるように貫通扉が付いている
 この後、200形は201編成が2004年に、202編成が2006年、デハ203が2013年に廃車になり1次車はクハ303を残して廃車された

 そんなに本数あるわけではないので来た電車で折り返すわけだが、どうせ降りたので駅舎くらいは、と撮影。20年前のこのころでもこうした木造駅舎は無くなりつつあって、こうゆうのを見れると遠くに来てよかったな・・・・・・と思ったものだ
 幸いなことに、下仁田駅舎そのものも、平成を通り越して令和になってもあの頃のままの姿を残しており嬉しい限りだ。名前の通り、鉄道はこの先信州を目指したが、写真でもわかる通り、立ちはだかる妙義の山々に阻まれてこの先の敷設は叶わなかった。沿線は平坦な田畑の中をずっと進んでくるが、終点の一つ手前駅、千平辺りから急激に山峡に入り込むようになり、下仁田から先は一気に山岳地帯に突入する。国道254号線は荒船山の下をトンネルで抜けて佐久に通じているが、碓氷峠よりは難路ではないものの、鉄道には厳しい地形で国有鉄道でもなければ建設して見合うものは得られなかったであろう

 同じ電車で高崎へと引き返してきた。夏でももう夕暮れ間近であった・・・・・・

<閑話休題・終>

 遠くから踏切の音がし始めた。周辺が静かなので電車の走行音が遠くからでも聞こえてくる。聞こえてきた走行音が一旦止み、隣の駅に停車したことが解る。再び走りだすと、直近の踏切も鳴り始めた

  山名→高崎:クモハ504 21:25発 普通「高崎」


 帰りは元西武101N系。同じ2Mながら150形以上に強力なので、他列車と同じタイミングでノッチを入れると変電所のブレーカーが落ちる恐れがある。なんて言われて、導入時はダイヤを工夫して使用を開始したが、今では広く通常に使われているみたい
 西武の地方私鉄向けの出物もこの101Nの2連が最後で、後は4連を短縮して電動車化しないといけなくなった。101Nもあちこち引き取られたけど、もう本体に残りがいくらもないので、地方で増えることもないだろうな。次に放出できそうな2連は2000系だし、4ドアでは中々・・・・・・

 同じ道を引き返して高崎に到着。夜のミニトリップ終わり
 地方の降りたことのない駅に、人気がいよいよ少ない夜に行くのは楽しくてやめられないよね♪

 今日の夜食。上野駅でもう一つ買っておいた牛肉弁当

 上信越方面は夜行列車も近距離が多いので、上野に近い高崎でも通過は深夜時間帯になる
 22:18の603レ信越本線回り福井行急行越前を皮切りに、20分の続行で801レ羽越線回り秋田行急行鳥海が22:38。長岡までそれを追いかける3001レ上越線周りの金沢行寝台特急北陸が22:54。急行と特急の差があるが、鳥海は高崎~長岡間で渋川と水上にしか停車しないので北陸の追撃をかわして長岡まで逃げ切るようだ。鳥海は秋田まで行くので上越線内も停車駅は少なく、時間と距離を稼ぐ。反面、北陸は短距離の金沢までなので速度を出さずにゆっくり走って時間を遅らす方に稼ぐのだろう。北陸の後は同じ行路を行く3605レ金沢行急行能登が23:21。同じ急行ながら、鳥海とは異なり深夜でも小出と小千谷に停車する。反面渋川には停まらないが、鳥海が渋川に停まる方がイレギュラーと言えよう。これ以降は日付が変わってからで、0:20に803レ秋田行寝台急行天の川。天の川の前に733M長岡行普通が0:08に到着し、天の川退避と後続の普通を待って0:48に発車する。後ろに行くほど短距離列車になって、1:06に707M新潟行急行佐渡4号、1:36に301レ信越線周りの直江津行急行妙高5号が最後となる
 上りは3時過ぎまで列車は無く、3:05の妙高5号、佐渡4号、天の川、、北陸、能登、鳥海の順で5:26発の越前まで続く。各方面に複数の列車があるので夜通し起きていても楽しいがキリがないのでさっさと寝よう。あと、このホテルからは列車が見えない・・・・・・

<11/27>


 おはようございます。すっきり晴れてるね。ホテルからは殆どビルしか見えないね

 帰りはさらっと新幹線

 運転終了してから1年ほどが経過したが、まだ足元にはE4MAX運転時の乗車位置目標が残っていた

 MAXはまだわかるけど、「あさひ」の乗車位置目標もかすかに残っていたわ
 あさひは上越新幹線開業時の速達列車の名称で、東海道新幹線で言うところの「ひかり」に相当する。多停車の「こだま」に相当するのが「とき」で、1997年に長野行新幹線が開業すると新潟行があさひ、越後湯沢行がたにがわと整理されて、ときの愛称が消えた。しかし、長野行き新幹線の名称が「あさま」になったことから新潟行き「あさひ」との誤乗が頻発したことで「とき」を復活させ、あさひが消滅した
 なお、うきはが初めて乗った上越新幹線は高崎まで「あさひ」だった。当時は上野までしか開業してなかったな

 ぶれた

  高崎→東京:W726-510 7:35発 604E あさま604号「東京」 10号車14A 普通車指定席


 赤城連峰を見て加速してゆく
<大宮>

 やけにモヤモヤしてんな?と思ったら東口のマツモトキヨシだかで火災が起きてたそうだ

 最後は新宿からMt.TAKAO
 天気もいいし、行楽シーズン終盤なので席はほとんど埋まっていたなぁ