奥檜原氷川紀行
<2018秋某日・・・・・・>
いつものようにグーグルマップで遊んでいると・・・・・・

木立に隠れて・・・・・・なんか・・・・・・なんか見える!?

お!?お!?こりゃぁ・・・・・・トロッコか???
場所は・・・・・・秋川街道の採石場横か!行ってみるか!
<2018/11/10>
帰宅後、電車で出直す

入れ替えの合間、小休止中のHD300−11
ちょっと前までDE10が構内入れ替えの任を担っていたが、いつの間にか完全に新型ハイブリッドのHD300に置き換わっていた。八王子の入れ換え運用は新鶴見のカマが使用されるが、新鶴見そのものにDE10の配置がなくなっていた。川崎派出にはまだ居て、川崎貨物や相模貨物の入れ換えには従事しているようだが

こちらもいつのまにか投入されていた八高線用E231で拝島へ

五日市線に乗り換えて久々に武蔵五日市にやってきた。電車で来るのは久々だ。駅前は車でしょっちゅう通るんだけどね。高架駅になってからは来たことあったかなぁ?最後に乗った五日市線はまだ201系だった気もするしな

ちょっと時間があるので、駅前をぶらついてみる
地平駅だった面影は全然残っていないな。それでも高架化されたのは1996年だから随分経っているのか。ホーム直結の平屋の駅舎があったのがまだ印象に残っている

全国的に珍しい、定期運行されているのはここだけの西東京バス、トレーラーバス。武蔵五日市駅と山奥の温泉、日の出三ツ沢つるつる温泉までの間を結んでいる。乗ったことないし、乗ってみたいのだが、今回の主旨とも行くべき方角とも違うので今回はパス。でもこうゆうのは耐用年数まで使うと後継車導入されずにそのまま在来車になっちゃったりするので、早めに手を打っておきたいところではある

そうこうしているうちに、待ち合わせの湯倉氏登場。今回の犠牲者同行者は湯倉氏だ。VSも久々やな♪

檜原街道を西へ進む

ちょっと判りづらいけど、この車はHUDが付いている。表示されるのはナビ画面だ
檜原村役場の先、橘橋T字を右へ、奥地の藤倉を目指す

道はどんどん狭くなって目の前に山塊が聳える様になったら、目的地。駐車場に車を停めて都道を少しだけ戻ると

沢の上になにやら建造物が見えてくる

周囲はうっそうとした杉林

小さいけど深い谷

その谷の上に跨るのは「小林家住宅総角沢モノレール駅」この谷が総角沢という流れなんだろうな

モノレール駅横の案内看板。これに乗れば山上にある重要文化財「小林家住宅」まで容易に連れて行ってくれる
今回のメインデッシュはこの小林家住宅と、そのアクセスに使われているモノレールに乗ることである。モノレールといっても都市部で走っている高規格の物ではなく、簡易式のものを乗用に少し整備した程度の代物だ
肝心なモノレールの利用方法が隠されている・・・・・・
構造的に少人数しか乗れないので、観光シーズンには積み残しがあるとまずいな・・・・・・と思い、公式HPでも記載があったように電話で予約をしておいた。もっとも、予約なんて湯倉氏と合流してから、檜原街道を西に向かう車の中で先ほどしただけだが
とはいえ、予約しているので乗れなくて引き返さざるを得ないなんて事にはならないので安心である
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そう、そしてその正体はみかん山にあるあの↑モノレールの乗用版だ。いわゆる「モノラック」である

末端部から乗り場とレールを見てみる
中央のレールが実際の走行用レール。ある程度の人数を乗せるので構造的に強化するため左右に補助桁が付いているようだ

下流側から見てみる。駅はしっかりしたコンクリ土台の上にトラスを渡してある。重文のアクセス用簡易モノレールとはいえ、力の入れ込みようが伺える

走行用レールを末端から見てみる。レールの下面にはギザギザが付いている。これが台車と噛み合いながら動くので、急斜面でも安定して上下できるわけだ。モノラックの「ラック」はこれが由来になっている。アプト式鉄道のラックレールと同じってことだな
モノレール駅の観察は済んだが、上からの便が来るまでまだしばし時間がありそうなので、周囲を散策してみることにした

道沿いの旧家の倉庫。紅葉が始まって木々も少し黄色くなっている

柿

沢の様子を見に行ってみる

沢を渡ると、もう1つのモノラックが設置されていた

エンジン部分のカバーには「ニッカリモノラック」の文字。3人乗りの台車に荷物運搬用の台車が付く
もしかしたら、以前はこちらで観光客の送迎をしていたのかもしれないな

直ぐ横にはさらにモノレールがもう1つ。こちらは一番簡易な荷物運搬用の物らしい
ごくごく僅かな斜面に3本ものモノレールが敷設されている

工事案内図にもモノレールの記載があった。先に載せた二枚、座席つきのものがこの「生活関連モノレール」のことであろう。もう1枚のほうはこちらの地図には記載がない。現在位置と書かれた辺りの上、沢を跨いだ辺りに起点があって、地図の右方向から山中へと分け入っていた
生活関連歩道を辿ってゆくと、中ほどに人家が書かれているので、ここの住人が主にモノレールを使用しているのだろうか

そうこうしていると、山の上からエンジン音が響いてきた

住宅を見学に行っていた客が戻ってきたのだ。こうしてみると、かなりの勾配に見える。エンジン一台に人車2台繋がっているようだが、あんな急斜面でも上れるんだな。姿が見えてから、目の前に来るまで物凄い時間がかかる。ゆっくりゆっくり移動する
下山客と入れ替わりにモノレールに乗車

一番前に乗せてもらったw

エンジン。発電機のエンジンと似たようなもんだな
この直ぐ前に運転手のおっちゃんが乗る。車体に対して左右の桁はまったく効力を発揮していないので、乗ると結構ぐらぐら揺れる。心もとない感じは確かにある・・・・・・
危険防止のため、ヘルメットをかぶって出発進行!!
https://www.youtube.com/watch?v=qvpjUSd70tk
せっかくなので、全区間動画を撮ってみた。最大斜度43度、380mの距離を上り13分、下り10分で走破する

終点。小林家住宅前に到着
総角沢駅では撮影する時間も、スペースも無かったので、こちらで全景を
乗用部分は2両連結で、1両あたり3人の乗車が可能。シートは上り下りの背もたれを兼ねた構造。あの斜度を考えたら、上り下り共に上向きで乗るのが身体の負担はなさそう。お年寄りなんかは下りで進行方向向きなんかだと怖がってしまうそうだし

詳細を調べたらニッカリというメーカーに行き着いた。ホームページから引っ張ってきた製品情報から察するに、エンジン部分はM-1000HSで乗用台車はOPA-3-50「トリオ」の2両連結だな
カタログではM-300とトリオの連結が図示されている。2両連結にすると牽引力に不安が残るので、1000kg牽引のM1000なのかと思ったのだが、これは逆で当初はそもそも横2列で9名乗車の大型のものが牽引されていたようだ
先代モデルは車輌自体が重すぎて故障することが多く、軽量タイプの現行モデルに変更したとのこと。牽引力は充分にあるので、輸送力確保のために2両連結にしたんだろうね

380m上って標高750mの山腹からはもう周囲山しか見えない。ちょっと天気が悪くなってきてしまって、紅葉もいまいち映えないな。残念

モノレールに6人しか乗れないのと、ほぼ必ず上ったらその組が次の便で降りるので、この住宅周辺に観光客は6名しかいない。写真に人が殆ど写らない

かやぶき屋根と紅葉

花も絡めて撮ってみる

これが重要文化財の小林家住宅。18世紀前半に建てられたとされている。こんな尾根筋にこんな立派な入母屋造りの家を建てるなんて・・・・・・
当時の檜原村では危険な沢筋に住宅を建てるのを避け、移動にも便利な尾根筋を利用するのが主流だった。この小林家住宅が建てられた立地も3つの尾根筋が合流する地点で、ある程度の敷地を確保でき、かつ各方面に移動が便利というものだった

昭和53年に国の重文に指定されたが、平成20年まではなんと一般住宅として利用されていた。ほんの10年前まで普通にここに人が住んでいたということだ!驚愕である
当然今の住宅に比べれば造りは古いし、モノラックなど文明の利器もあるとはいえ、決して暮らしやすいとは言えない住宅なのに

居住されていた当時はトタン屋根だったそうだが、重文指定後、建造当時の姿に復元するおり、茅葺屋根にと葺きかえられた

裏手側から住宅を見て、

室内へ入ってみよう。竈には火が入っていた

土間には杵、臼といった民具が置かれている。実際に使われていたものかは不明だが、当時としてはこうゆう物を使用していた、ということでね

ここが居間、リビングね。住宅の大半を占めるだけあって広い
中央には囲炉裏があって、

そこには鉄の薬缶がぶらさがる
天井は非常に高いが、2階部分がある。2階・・・・・・というよりも屋根裏という感じだが、かつてはそこで養蚕も行われていた。主な産業が炭焼きで、焼いた炭を下界に下ろして生計を立てていたそうだが、養蚕を行うことで生糸の生産でも家計を助けていたのだろう

畳敷きの部屋もある。ここが寝室だな。でも、寒いんだろうなぁ・・・・・・山の上だし、雪も降るもんな、このあたり
今の建造当時の復元された姿ももちろんいいんだけど、平成20年までの、普通に暮らしていた当時の姿もとても気になる。どうゆう間取りで、どうゆう家具を配して、家電製品とかどんなマッチングだったんだろう?って
維持は凄く大変だけど、こうゆう旧家に住むのは少し憧れあるんだよな・・・・・・

室内から裏手を見てみよう

斜面には小さな祠。斜面は整地され、椿公園として整備されている。4月にはつつじ祭りが執り行われるそうだ

モノレールがない時代はこの坂道を下からずっと上がってきたのかねぇ
郵便配達の赤カブとか似合いそうな小道だなw

再びモノレールで帰りますよ

今度は一番前は譲り、写真撮影に専念しよう

上りは動画撮っていたので景色を見る余裕がなかったので。帰りは景色を満喫しよう♪

複線区間。別ルートで沢の駅まで降りてゆく。多分昔はあっちを使っていたんだろうな?

木立の中を付かず離れずして進む複線区間

旧線が別れていく

ちょっとこれ、下向きだと傾斜こっわいな・・・・・・

大分降りてきたけど、まだまだ下は遠いな

もうずっと下りっぱなしだから、身体を固定するのもしんどくなってきた。お世辞にもホールド性は良いとは言えない
下りはちょっとだけ短い10分で走破して、総角沢駅に戻ってきた。東京の山奥にこんなアトラクションがあるとはな、檜原村も侮れないなw
車に戻ると、我々は当初の予定、そもそもの発端だった、冒頭の「トロッコ」の調査へと移ることにした
山を降り、檜原村役場付近まで戻ってきた
橘橋から今度は数馬方面に少し走る。砕石場の先を曲がると、工事現場が見えるのだが・・・・・・トタンの壁と門扉に閉ざされて、工事箇所は全く見えない。この先にトロッコ軌道と思しき物があるはずなのだが・・・・・・ここからでは視認は不可能か
空中写真で見ると檜原街道の線形改良工事のものだと思うのだが、トロッコ軌道は山を登って行くように敷設されている
村役場方面から登山すればもしかしたらたどり着けるかもだが、登山道などはなく藪を掻き分け斜面をよじ登らないといけないだろう・・・・・今回は装備もないし、無理かな・・・・・・とりあえず近くまで行って、様子を見てみるか

超急カーブ

超急・・・のカーブの先にある

吉祥寺滝あたりが一番トロッコ終点に近いんだけども

こりゃぁ、まず川を渡るの無理だなぁ
渡った先の断崖もちょっと険しいなぁ・・・・・・

浅いところから川向こうには行けるけど、そこから上に登る道はないし、急峻すぎるか・・・・・・
これは無理だなぁ

滝の流れだけ、楽しむか。せっかくだし

こう、真っ赤な紅葉でも流れてくれば絵的には綺麗なんだけどもね

滝のほとりには小さな祠があった。ちょっと傾いている・・・・・・
吉祥寺滝の上には、滝の名前の由来となったお寺がある

ここの紅葉は真っ赤で綺麗だ

参堂も緑から黄色を経て赤くなる紅葉がたくさん

今年は紅葉を余り撮っていないし

せっかくなので、ここで重点的に

綺麗に撮って見ましょう

紅葉と鐘

吉祥寺の本尊。檜原村屈指の寺院だそうだ
応安6年(1373年)開山と言われているが、詳細はわかっていない。臨済宗建長寺派

お堂の横にも立派な紅葉
メインに探索しようとしていた工事現場のトロッコらしき軌道は不発に終わったが、まだ日没までは時間がある
エリアはちょっとかわるが、せっかくなので、そうだあそこに行こう!ということで

奥多摩、氷川の石灰石工場脇までやってきた。檜原村からは山一つ向こう側だ
駅前のタイムズに車を停めて、駅沿いに白丸側に歩いてゆく

坂道をのぼると、最初の踏切。奥多摩駅が遠望できる

駅脇、駐車場になっている部分がかつての貨物側線。かつてはEF64やED16がホキを従えて待機していた
<閑話休題・青梅線貨物>
ちょっとくらい鉄道の話題に触れないと気がすまないねw
うきは世代だとED16の時代は知らず、EF64も撮影できる年齢になった頃は1000番台だった

同じ列車を、旅客列車退避の隙を突いて何回も撮影しているみたいだ。撮影は98年の夏

後追いで、石灰石列車であることを強調
この年の8月にはトラック輸送に切り替わり、長らく続いた石灰石輸送に終止符が打たれた
奥多摩での石灰採掘は現在も大規模に行われており、減産による貨物廃止ではなかったので、廃止時であっても昼夜を問わず多くの貨物列車が設定されていた

川崎からの返空貨物の先頭にはヘッドマーク付1015号機。ヘッドマークに書かれた「ライムストーン」はそのものずばり、石灰石のこと
右写真は通り過ぎたホキを踏切のど真ん中から。写真奥にはファンが鈴なりに見える
この石灰石輸送終了を持って、青梅線は殆どの貨物列車が廃止され、拝島から米軍横田基地に入る燃料輸送列車、いわゆる「米タン」が細々と残るのみになった・・・・・・
<閑話休題終>
小さな住宅街を抜けると道は直ぐに山にへばり付く緑の中に突入した

辛うじて舗装された小さな道を登ってゆくと、

分かれ道だ。正確にはX字状の交差点

下の道が舗装もしっかりしていて、本線の感じだけど、これは間違い

右のグレード低そうなのが正解!こっちに歩を進める

工場の脇を掠めて登ってゆく
ここはもう奥多摩工業氷川工場の裏手だ

どんどん高度を取ってゆくので、工場の中も見えるようになってくる
土曜日の夕方なので作業員の姿は見えないし、工場も殆ど動いていない。それでも、どこかで何かが動いているようで、かすかに動力音がしている

セメントサイロと輻輳するベルトコンベヤ。まさに工場

いつの間にか道路の柵は使い古したトロッコ用レールに変わっていた

このまま行ったら工場の中に入っちゃうんじゃないか?という感じだが、大丈夫、通行可能だ

石灰を扱うので、全体的に白っぽい

ここだけ見ると工場の中に進入したみたい

てゆうか、左右上下もう工場

横をみたらこんな感じに得たいの知れない建物、機械だらけだし

石灰石の貯蔵庫も直ぐ真横に見えるもの

櫓状になった箇所を抜けると、ちょっと空が開けた

でも、まだまだ工場内。こんな山奥にこんなでかい工場建てたの凄いよな。そりゃ、要塞みたいに見えるわ

しつこく工場内を撮って見るけど、活気がないな

ここはクレーンが出てきているので、作業を行う場所でも有るんだな

ドリル

向こう側には結構住宅がたくさんある。奥多摩なんて殆ど人が住んでないと思ったけど、結構新しいめの住宅があるんだな

いよいよ工場からも離れて人跡に乏しくなってきた。路肩はなくなり、

車輌は通行止め。ここからは更に隘路に。獣道に変わるのだろう

日没を経て光線状況は刻々と悪くなる。足元が覚束なくなる前に突破せねばならない、が

目の前にはこんなものが現れると、足を止めて見入ってしまう

日原から奥多摩まで鉱石を運ぶ奥多摩工業のトロッコラインだ。これを見に来た
土曜日だし、もう終業時刻を過ぎているので動く気配はない。鉱石が積まれたままのトロッコは次の就業日までこのままここに留まるのだろう
このトロッコは日原川沿いの街道から見上げたことがあるが、
https://www.youtube.com/watch?v=zefjaw38XBE
高低差があり過ぎて公道からは視認が難しい
ここなら間近で動いている様子が観察できるので、ぜひとも平日明るい時間に再訪したい

トロッコが沢を跨いでいるところ、人道の方は崖を下って沢近くまで降りる。立派な鉄橋が架かっているので廃道ではないのだろう

一部は崩れているので、足元に注意。暗いので余計だ
完全に崩れていたら引き返さなければならなかった

崖側にへばりつきながら通過する
この先もこんなのあったらどうしよう。暗くなるし、引き返したくは無いな・・・・・・今から引き返したら、完全に山中で真っ暗闇になるぞ

デジカメは少しの光でも像を結んで綺麗に見せてくれるが、肉眼では木立の中の山道はもう厳しい

さっきの沢を跨いだ地点よりも、また随分高度を稼いでしまった。本当に通り抜け出来るのかな・・・・・・

ああ、もう暗い暗い!急げ急げ!!
この小さな尾根を巻いたところが最後の木立だった。少しだけ視界が開け、一軒家が姿を見せた

久しぶりに舗装路に抜け出した。ここまでくればもう暗くなっても大丈夫だ。一安心。スマフォも電波を拾ったぞ!

行き止まり表示があるが、右に奥へ奥へと進むと、いつかは奥多摩駅の裏に出られることを僕らは知っている・・・・・・

水根線のコンクリガードが見えてきた。右の方に進むと有名なコンクリアーチがある
ネットで検索してもらえれば水根線の詳細はゴマンと出てくるので、ここでウダウダ話すのはやめておく
20年くらい前に来たときは左手の土手の辺りに錆付いたタンク車が止まっていたけどそんなものはとうの昔に撤去されてしまっている
水根線は小河内ダムまで路盤の殆どどころか、レールまで現存している。一時期西武が丸ごと買い上げて観光列車を新宿辺りから走らす計画があったが、奥多摩湖のレジャー利用が禁止されており旅客誘致が見込めなかったので幻の計画となった
もしかしたら、ここを5000系レッドアローが走ったかもしれないな・・・・・・なんて夢想

ぬっこと戯れる湯倉氏

あの橋を渡っていけば奥多摩駅に出られるはず

ちらちらと奥多摩工業の工場が見える。操業している気配は無いが、構内に電気は点いている

日原川の小さな滝と奥多摩工業氷川工場。稜線にかすかに残滓。山や木々は完全に闇に没しているが、滝の白い筋とセメント工場だけが闇に浮かび上がっていた・・・・・・
了