紀洛近江尾張紀行
<2015/3/28>
ぶっちゃけ、時間が無い
フライトは12時5分発。首都高は渋滞だし、一般道も流れが悪い。その上国内線ターミナルの駐車場も満車の恐れあり。国際線は空いているようなので、滑り込みで駐車したが、どうもそれもすぐに一杯になったようで危ないところであった
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時間が無いので京急で国際線ターミナルから国内線ターミナルへ
そのまま慌しく検査場を通過して、搭乗ゲートに着いたのは正に搭乗開始時刻であった・・・
東京・羽田→大阪・関西 SFJ023 12:05発 JA20MC A320−200 20A・B
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久々のスターフライヤー
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エマージェンシーデモの「フライヤーニンジャ」は終了していて、ジャズ仕立てのそれに変更されていた。ツマラン
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20MCはシャークレット搭載機。昨年のジェットスター以来のタイプ。今後、全日空が導入するA320/321neoもこのタイプの機材になろう
すでに初期導入の01MCから04MCまでは売却されており、機内は150席仕様機だけになってい。搭乗の20MCは2013年の6月に導入されたシャークレット付きの初号機ということになる
01から09まで順番に符番されてきたが、10号機以降で仕様が異なるために10MCとならずに、20MCとなったようだ
タリーズの珈琲と一欠けのチョコレート摘んで80分
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関空に到着。関空も久々だね
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関空からは南海電車
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南海の駅構内に入ると、廃切符を使用したアートが展示されていた。切符の表裏をたくみに使用してモノクロのドットアートを作り上げている
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モナリザ。63756枚使用
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ヴィーナスの誕生。これも63756枚使用
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ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット。同じく63756枚
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落穂拾い。他三枚の倍の大きさで、使用枚数も131516枚
企画そのものは随分前からあり、関空での展示もかなり以前からされていたようだ。気付かなかったな
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空港急行なんば行き7952。7000も撮れる時に撮っておかねば
これに乗っても乗り継ぎは問題ないのだが、
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乗るのはこっち。羅人
関西空港→泉佐野:50202 14:05発 特急ラピートβ48号「なんば」 2号車3、4
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海を渡って
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すぐに泉佐野。のりかえ
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普通なんば行7905。片開き車。20m4ドアの大型車で片開きの電車が走っているのなんて、いまや南海だけだから・・・
泉佐野→和歌山市:10108 14:19発 特急サザン27号「和歌山市」 2号車19、20
<紀ノ川〜和歌山市>
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満々と水を湛える紀ノ川を渡り、和歌山市に
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和歌山市に到着したサザン27号10908F。どうでも良いけど、連結器えらい方向向いてるなw
和歌山市駅→公園前:和歌山バス 14:55発 8番 「JR和歌山駅」
徒歩で和歌山城へ
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北側。一の橋を渡って城内へ
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お堀端の桜はまだ疎ら
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なかの枝垂れは満開だった♪
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本丸、天守閣目指して、奥へと進むよ
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いかにも登城してるみたいで良い雰囲気♪
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本丸御殿址から大天守を望む。桜はもう少し・・・
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桜と和歌山城
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南側から大天守
では、登城しよう
和歌山城は徳川御三家の1つ紀州藩紀州徳川家の居城である。城は和歌山市中心部にある標高48.9mの虎伏山に築かれた平山城である
築城は安土桃山時代1585年。天守閣は連立式層塔型3重3階で1605年もしくは19年の築とされる。1846年には雷雨による火災で天守含む主要構造物が消失したが1850年に再建されている
1871年には廃城とされ多くの施設が解体される。1945年の和歌山大空襲において天守等が消失しているが、1958年に天守群が鉄筋コンクリート造りで復元され今に至る
2006年には日本百名城の62番として認定された
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さっそく天守に登るよ。中は資料館になっているのはお約束。でも写真撮影は禁止なので・・・
天守閣からの眺め
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東
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西
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南
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北
こうしてみると和歌山も大きい街だねぇ
下は3月とは思えないくらい暑いが天守は風が吹き抜けて涼しい。しばし冷風に触れてから降りることにしよう
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みんな何見ているのかと思ったらリスがいたよ
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人の手から餌を貰っていたり、良く馴れている。いつもこうして餌をおねだりしてるんだろうなw
公園前→和歌山駅:和歌山バス 16:15発 52番 「医大病院」
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225系。いまいち好きになれない。精粗さもスピード感もない。221、223が完成されすぎてたんだな
和歌山→京都:モハ380−85 16:51発 2076M 特急くろしお26号「京都」 4号車5A・B 指定席
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381系久々である
この春の北陸新幹線開業で北陸スジの鉄道は大変革を遂げた。三セク移管と運転系統の整理。これによって日本海縦貫線西側の優等列車は随分整理され、それによって多数の余剰車輌が発生した。このエリアの特急用車輌は数年前までにほぼ全てJR型に置き換わっており、従って車齢の若い車輌群が一気に余剰となるに至った
JR西日本もこれらの新造特急車群を遊ばせておくつもりは毛頭無く、それはすなわち残る旧型特急電車の置き換えに当てられることになる。その矢面に立たされたのが紀勢、山陰、福知山方面に残る国鉄型特急電車群であった
くろしおが電車列車化されたのは紀勢本線が新宮まで電化開業した1978年のことである。それまでのキハ81に変わり、中央西線しなのに次いで新造の381系電車が投入された。381系の新製投入はしなの、くろしお、やくもの3列車だけであり、国鉄の財務状況、路線投入への費用対効果から非常に特殊な例となる。曰く、曲線区間の高速化と旅客需給の総合的見地から電化が望ましいと判断された路線だけの投入となった
以降、くろしお用381系はその振り子性能をいかんなく発揮し、一時期増発用の485系投入や、オーシャンアロー用(現在はくろしおとして運行)283系投入等もあったが、全列車を置き換えるほどの増備はなく381系は30年以上に渡って使用を続けられた。JR西日本では先述の283系で量産コストの低減が図れなかったことで全列車の置き換えを断念しており、続く新車は2012年の287系まで待たなければならなかった。287系は北近畿方面の国鉄型置き換えを主目的に製造されたため振り子機能は保持していない。しかし、適当な新車が当面見込めなかった為か、くろしお向けにも増備を行い381系の一部を置き換えたが、全てを置き換えるには至っていなかった
そして発表されたくろしお381系完全置き換え計画の全容は、北陸新幹線開業で余剰となったしらさぎ用683系2000番台を直流仕様に改造した289系の投入をもって行うと言うものだった。289系は併せて北近畿方面でしようされている381系の置き換えも行い、近畿エリアからの国鉄型特急電車の全廃を目指す。予定は2015年秋。381系が残るのは、あと半年である・・・
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381系は低重心化のために屋上にはパンタグラフ以外の機器を置かない設計になっている。そのため冷房装置は床下に設置され、送風用ダクトは車体側面を立ち上げる形で設置された。ダクト部分は2列横並びに座席を配置できず、単独の座席になっているのも特徴だった
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車端部の位置はこんなパンダのシートカバーになっていた。沿線の白浜にあるアドベンチャーワールドはパンダが飼育されていることで有名
車内はほぼ満席だろうか。白浜始発であるが、春休み中の土曜日、夕方の列車だけはある。和歌山からも結構な乗車があったが、大半は天王寺で下車した
<西九条〜新大阪>
西九条からは貨物短絡線、通称梅田貨物線
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梅田貨物駅跡。跡地は再開発される予定。昔、夜中に酔っ払いながらこの駅下の地下道を歩いて阪急中津まで歩いたねw
<京都>
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京都に到着したくろしお26号。幕は到着早々に換えられてしまった・・・
くろしおに乗る機会は余り無く、以前オーシャンアローに乗ったきりだったので、この381系が「このとき」は最後になると思っていた
京都→烏丸御池:1712 18:31発 「国際会館」
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あ!これな!!例の京都市交通局「燃え燃えプロジェクト」な!!
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キャラ説明に丁度良い。中央がプロジェクト初代キャラの太秦萌、左が松賀咲、右が小野ミサ。いずれも17歳女子高生
市職員の有志がプロジェクトを立ち上げ、当初は職員の家族がキャラクターデザインを手がけていたが、2013年よりイラストレーターの賀茂川氏によりリファインされたものが使用されるようになった
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市営交通利用促進のために、地下鉄駅のあらゆるところに貼ってある
これ、ある人種に対しては絶大な効果があるが、そもそも地下鉄初乗りをもう少し安くしてくれたらもっと乗るんじゃないの??
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そしていろんなバージョンがある
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いろんなバージョンが・・・
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あの、これ、何種類あるんすかね?
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烏丸御池はNHK京都新会館最寄り駅でもあるので
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にゃー!!!!
一旦、宿に荷物を置いて、
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再び、烏丸御池
烏丸御池→二条城前:5316 19:28発 「太秦・天神川」
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二条城がライトアップされているというので、見に来た。夜なのに観光客すげぇ。観光バス何台も出入してるし!
東南隅櫓。二条城には寛永期に築かれた隅櫓が本丸、二の丸隅に点在していたが、天明8年の大火の際に消失しており、残っているのはこの東南隅櫓と、丁度対になる西南隅櫓だけである
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アイロンが煙を吐いて落ちてゆく?・・・・・・・「!」マークか!!
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クリーニング屋の看板だったw
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夕食はホテル傍の丸亀製麺でお手軽に
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100円ローソンで見つけた。明日はこれで乗り切ろう
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なんも見えないな・・・
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おやすみずら〜
<3/29>
雨である。ローソンで傘を買って出かける
烏丸御池→東山:5511 9:10発 「六地蔵」
<東山>
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ここにもある!ちがうバージョンや。一体何種類あるんや?
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個別バージョンもあんのな、萌ちゃん
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咲ちゃん
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ミサりん
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水路沿いの道を進む。桜咲いてれば綺麗なんだろうけど、まだまだ
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平安神宮の大鳥居をくぐって、みやこめっせへ
今日のメインはイベント「八雲幻想祭 第4幕 〜スキマメモリアル〜」
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店番中・・・
イベントおわぢ・・・
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みやこめっせ。2008年の第四回紅楼夢の時以来。紅楼夢はコレ以降大阪のインテックスにて開催に変更されたので、久しく来ることは無かった
2011年のこのときには北白川から東山まで歩いた際に目の前は通っているけどね・・・また、これでしばらくはこないなぁ。きっと
行きは東山から歩いたけど、帰りはルートを変えて、直接京阪三条へ出てみる
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三条着
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5551Fに乗る。最近、京阪乗るとこればっかりな気がする
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んで、バカの一つ覚えみたいに締切ドアと昇降座席撮っている気がする・・・
京阪三条→東福寺:5551 15:20発 準急「淀屋橋」
1次車トップナンバー編成。昭和45年製造なので、45年選手・・・5000も結構な経年だし、5扉/3扉で昇降座席とか面倒な機構が付いているから、そろそろ去就が・・・
○ 東福寺→京都:クハ103−262 15:32発 644M 普通「京都」
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京都着。103系も久々乗ったわ。延命N40工事施工車。もう原型って残ってないのん?
京都→米原:723−53 15:59発 670A こだま670「東京」 1号車2D、E 普通車自由席
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新幹線で豚饅食べるずら〜
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ぶたっ!
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各駅停車のこだまとはいえ、新幹線はえぇなぁ・・・
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米原に到着。1駅だけの乗車だが、新快速でも小一時間かかる距離なので速達性は抜群
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EF510−508が居た。2013年以降、東日本の貨物受託輸送が廃止されたのち、余剰化していた501〜508、511号機がJR貨物に売却されており、全機が0番台と共に富山機関区に配置されている
売却された500番台各号機は側面の星ストライプが消されたほか、ATSの貨物仕様に変更された以外は青に金帯の旅客時代の姿のままで運行されている。北斗星など東北筋でしか馴染みの無かったカラーの機関車を米原で見るのはなんか不思議であるが、東日本が発注した15台のうち、実に9台が貨物に売却されている上に、今後北斗星の廃止(現臨時列車化。2015年夏以降の設定予定なし)等で需要が減れば更なる移籍が発生しそうだ
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米原からは在来線でちょっと走る。列車が12両編成で到着したので後ろよりの車輌に乗り込んだが、後ろ8両切り離しとのことで慌てて前4両に。どうせ行って帰ってまた増結するんだから、そのまま走れば良いのに
米原→長浜:サハ223−2045 16:26発 3726M 新快速「長浜」
<坂田>
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本線の駅とは思えない・・・
<田村>
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北陸本線交流電化の起点駅。ここから敦賀まではEF70が牽引し、米原まで非電化区間は
(※青梅鉄道公園に保存中の2号機)
大型タンク機のE10や、後には片運転台2両重連運転のDD50が継走した
いまも広い構内に名残が残るが、機関車は待機していた中線は殆ど撤去され、鉄道の要衝だった頃を想像するには名残は乏しい。同区間の交流電化後には機関区や中線を撤去、後年は直流電化が長浜、敦賀へと延びて行、田村もただの停留所と化していった
<長浜>
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長浜に到着した3726Mクモハ223−3021
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12Mしらさぎ12号。はくたか用から転用されてきたW12編成、クハ681−9を先頭にした9両編成。W12は3両の付属編成で米原回転
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接続の143M普通近江塩津行はクモハ521−4
今日は長浜泊。宿は琵琶湖畔、歩いて10分程度
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ちょっと寄り道して長浜城に
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琵琶湖側から。お城は入場時間終わってた・・・
長浜城、別名今浜城は羽柴秀吉が築城した平城である。1573年に、浅井攻めの功により、旧浅井領だった当地を信長より拝領。当時は今浜と呼ばれていたが、信長の一文字を取って長浜と改名した。近傍の小谷城や、琵琶湖上竹生島に隠されていた資材により築城を開始したとされる
城壁は琵琶湖面に接し直接船で琵琶湖へと進めることが出来たという。秀吉が最初に築いた城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した地でもある
大阪夏の陣後、1615年には廃城となり、資材の大半は彦根城の築城に再利用された。彦根城の天秤櫓は長浜城から移設されたものと言われている。現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルに復元された鉄筋コンクリートの模擬天守である
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琵琶湖畔は丁度夕暮れ時
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まもなく日没・・・
投宿
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がんばれば北陸本線見えそう。でもきたぐにも走ってないし・・・
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部屋からは長浜城が見える
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ホテルの脇には琵琶湖からのヨットハーバーが伸びていた。大きいし、波も静かなのでこうしたマリン(?)スポーツは盛んなのであろう。水上機でも一機買って置いておきたいね。それで瀬戸内の小島とか、諏訪湖とか霞ヶ浦とかなら行けそうだ。グラマンのグース、ヴィジョン、マラード。デハビランのビーバー、オッターやツインオッター・・・レーク・バッカニアとか良いねw
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16輪バギー!
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どんな所でも登るぜ!!
小休止して食事にお出掛け。地方の小都市によくあることだが、店仕舞いが早い。駅を越えて東側の市街地に赴いたのは20時少し前なのだが・・・
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黒壁スクウェアまでやってきた!
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ちぇん!・・・は、高いのでやめて。お向かいの忠太郎さんで
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近江牛焼肉定食を。閉店ぎりぎり入店だったけど、助かりました。もう食べるとこないんだものw
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もう閉店だったので、表に出てた名物の近江牛黒コロッケまで頂いてしまった!!近江牛黒毛和牛を使い、竹炭入りの黒パン粉で揚げているのでこんなに真っ黒wでも焦げの苦味は殆どない。おやつに最適。2個100円、3個150円で販売中!
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豊国(ホウコク)神社。豊臣秀吉に縁のある地に鎮座する神社
秀吉の三回忌にあたる慶長5年(1600年)に、その遺徳を偲んで建立したもの
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人気は無い
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明々と灯篭は燈っていたのだが
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社殿は電気消された・・・帰ろう
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帰りの道すがら、長浜城がライトアップされているのが見えたので再び立ち寄ってみた
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瞬間電気消された・・・・・・まぢ帰ろう
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八ツ橋食べて寝よう・・・
3/30
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おはよ♪今日は良い天気♪♪
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長浜ロイヤルホテルさまにお世話になりました。温泉もあるし、広くて綺麗なホテルだったよ♪
長浜駅に行くと普通列車は出たばかり。少し後に特急しらさぎがあり、これで米原まで出て乗り継げば・・・と思い特急券を買いに戻ったが、僅か5分のために750円×二人分を投資するなら・・・
もうタクシーで直接乗り付けちゃえw
という判断。楽だしね。駅から歩かないで済むしねw
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てわけで、30分ほどで彦根城お堀端までワープ。屋形船でお堀クルーズできるんだ!
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本日のひこにゃん。すでに11時過ぎなので、今は昼食休憩中かな?
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さっそく登城開始。平日だが春休みのせいか観光客は多い
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彦根城から佐和山城を望む。彦根城は周辺各城からの資材でもって築城された城であり、目と鼻の先の佐和山城からも資材の供給を受けている
当地を治めた石田光成公の支持が篤く、石田氏滅亡後にこの地に入った井伊直政公はその威光を払拭するべく、佐和山城を廃城し新たに彦根城を築城させるに至った
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標高は50m程だが通路は曲がりくねって登り難い。姫路城等と同様に城郭を良く残す彦根城だが、失われている部分も多い
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休み休み登る
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天守に到着。天守は大津城からの移築。規模の割にはこじんまりとしている
1945年8月15日には彦根市の夜間爆撃が予定されていたが、日本のポツダム宣言受諾により辛くも中止された。実行されていたら天守はおろか城郭など貴重な遺構が破壊されていた可能性が高い
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桜も咲き誇る
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こちらから見るとちょっと表情が違うかな?
さて、天守見学を・・・と思ったが、春休みとはいえ平日の今日、それでも彦根城は大盛況で見学の列が外に長々と伸びている。時期を鑑みてまた来ることにし、今回天守の見学は見送った
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おみやげを買って降りる。もちろんひこにゃんだらけだw
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表門から上がったので、大手門側に降りてきた。もう少し遅ければここも桜で見ごたえがあっただろう
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振り返って城内を。何層もの石垣が大きな城址だという事を物語っている
行きはタクシーで横着したので、帰りは彦根駅までぽてぽて歩く
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名古屋までの乗車券を購入してホームへ。東海道本線は「神戸線内」車輌点検の影響により45〜60分の遅れ。近江鉄道で米原に出ようかとも思ったが、良い時間にないのでそのまま東海道本線で
彦根→米原:クハ221−80 11:37発 740T 快速「米原」
およそ45分の遅れ
<米原>
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今日は505号機が居た
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乗ってきたクハ221−80。223、225の増備に伴い各線区に散らばって、中々東海道本線で221系に乗る機会って恵まれなくなった感がある
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223系
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米原からは新幹線!
米原→名古屋:785−2676 12:58発 520A ひかり520「東京」 12号車5D・E 普通車指定席
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お弁当買った。八ツ橋で有名な井筒屋だ。駅弁も作っているんだ!
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湖北のおはなし
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幕の内みたいな感じ。ご飯はおこわ
途中岐阜羽島に停まって、名古屋までは約30分。名古屋を出ると小田原まで停まらない速達形ひかり
名古屋来るのは久々だが、今日はほぼ素通り
名古屋→栄:5361 13:41発 「藤が丘」
栄→平安通:2526 13:48発 右回り
<平安通>
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地下鉄上飯田線、名鉄小牧線含めて初乗り。車輌は名鉄の300系
平安通→小牧:318 14:13発 普通「犬山」
318は300系の最終増備編成。300は4連8本が製造された名鉄初のステンレス車で、全て小牧線で運用されている専用車である。他に同様の仕様で作られた名古屋市交版の7000形4連2本があり共通で運行されている
平安通りから上飯田までは市営地下鉄上飯田線。たった1駅の事業区間。にもかかわらずきちんと市営側でも車輌を作っているところはさすがw
上飯田の先で地上に出てそこから旧来の路線。もっとも小牧までは複線化されている。小牧線っていったらもっと田んぼや畑の中を走る鄙びたローカル線かと思っていたが、さすがに2015年の現在では線路際まで住宅が密集した普通の地域型支線となっている。本数も日中毎時4本。15分ごとと利便性は高い
<小牧>
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地下化されている小牧線の要衝駅。ラッシュ時には折り返し電車があるため2面3線で引き上げ線まである
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そういえばこんなものがあったw
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廃止後閉鎖されたままの桃花台新交通小牧駅
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小牧から伸びる「廃線跡」
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バスロータリー越しに桃花台線小牧駅を見る。手前に見えているのは降車側ホーム。列車は写真右から駅に進入し、降車扱い後左へ進み、Ωループの折り返し線を通って反対側に周り乗車後発車してゆく
駅は名鉄小牧線の小牧駅跡に作られている。小牧線の地下化は1989年で、桃花台線の開業は1991年。廃止は2006年と15年しか営業しなかった。もちろん乗車機会はない。もう少し近年まで残っていれば小牧線含めてもっと早い段階でこの辺りには立ち寄っていただろう。1991年開業の新交通システム、しかも名古屋都市圏のものがこんなに早く廃止されるとは夢にも思わなかった。廃止が取り沙汰されたときも、なんらかの形で引継ぎ事業者が現れて運営は継続されると思っていたが・・・
桃花台線は小牧駅から東へ、桃花台ニュータウンまでを結んだ7.4kmの路線で概ね20分毎の運転だった。先述の通り利用が伸びず2006年10月にわずか15年の歴史を閉じた。車輌は4両編成で片側にしか運転台付きの車輌がないため、折り返しはループ線を使い一方通行で運転されていた。桃花台から先、中央本線高蔵寺への延伸計画があったが、実現せずに廃止されている
桃花台ニュータウンから本路線を使用して名古屋市内に行くには小牧で小牧線に乗換え、上飯田からバスで地下鉄の平安通りへ、そこから市営地下鉄と乗換えの回数が多く利便性に乏しい。ニュータウンからは自動車やバスで直接中央本線春日井駅に出てJRで名古屋に向かう方がはるかにスムーズに移動できることから、2003年に小牧線が地下鉄と連絡し平安通まで直通するようになっても輸送は改善されなかった
結果、2004年に廃止の話が持ち上がり、2006年に実際に廃止されるまで、住民による反対表明はあったものの、実際に廃止反対に抗議する活動などは行われなかった・・・
その後10年。撤去にも巨額の費用が掛かるという事で、施設はほぼそのまま残っている
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こまき巡回バスに乗る。目的地まではそれほど遠くないが、歩いていくには時間的に制限も多い。名鉄バスの周辺路線は物凄く本数少なく利用しにくく計画に非常に苦慮したのだが、この位の規模の都市にはコミュニティバスが設定されていることが多くこれで代替することで非常に助かった
小牧駅→小牧市役所西:巡回バス 14:46発 6コース
コミュニティバスで良く使用されている日野ポンチョ(上写真の緑色の車輌)。日野自動車が販売しているが製造はジェイ・バス株式会社。日野といすゞの合弁会社でこうした小型バスの製造を行っている
大概のコミュニティバスは均一料金か、ゾーンや距離性を敷いているが、小牧市の場合は1日「あたり」200円という料金。当日中ならばコースに関わらず1回でも10回でも最初の200円だけ支払いで乗車できる。路線も駅、市役所、病院を中心に広範に伸びており利便性は高い
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目的地は市役所前の小牧山。ご覧の通りの標高86m足らずのちいさな山である

中部空港が開業するだいぶ前、90年代の名古屋空港。いまの県営名古屋空港をタキシングするウズベキスタン航空のイリューシンIl-62。ロシアや東欧諸国はまだこの旧来からのロシア機が国際線の主力であった。上昇力に乏しく、いつまで経っても高度を取れない姿から、名古屋に撮影にきたマニアからは「小牧山に一直線」と揶揄された
ご覧の通り、低い山で幾ら上昇力が無くてもこんな山にぶつかるジェット旅客機などないが、当時はそういって笑いものにされていた。もっとも、いま、こんな機体が名古屋に限らず国内に飛来したらお祭フィーバーになるだろう
余談である・・・
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市街地にある小さな山だと思っていたが、なめてかかる怪我しそう
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登りはじめて10分ほどで頂上と、そこに聳える天守が見えてきた
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小牧山は山そのものが城跡である
清洲から美濃平定後の稲葉山城へ移る過程で織田信長が築城したのがこの小牧山城である。清洲からの城下町の移転と共に、山全体を城域として築かれた。稲葉山城に移るまでの4年程(1563〜67年)がこの城の活動期間であったとされる
その後、1584年の小牧・長久手の戦いでは小牧山に地の利を見た徳川家康が本陣を置き、信長が残した土塁や堀を改修して強固な砦を築いた
山頂にある天守閣は小牧市の歴史博物館として1967年に作られたものである
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さっそく登ってみた。平野部にぽつんとあるので86mの標高でも眺めは良い。こちらは東
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西
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南
少し視線を右にずらすと
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小牧飛行場を遠望できる。厳密には小牧山は滑走路の延長線軸上にはない。幾ら低い山とはいえ滑走路軸線上に高所があるのは望ましくない
小牧飛行場の前身は1944年に開設された陸軍小牧飛行場。滑走路が今と同方向かは判然としないが、航法支援設備の満足にない旧軍時代の飛行場や飛行機にとってはこんな山でも大きな障害になりうる
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最望遠でもきっつい。KC−767Jが2機並ぶ
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こちらが北
ちょっと風に当たって降りましょう
小牧市役所西→小牧駅:巡回バス 15:47発 1コース
小牧→犬山:321 16:15発 普通「犬山」
今度は300系のトップナンバー編成だ
犬山まで乗って、小牧線完乗。久々に名鉄の未乗線区を潰した。残るは広見線明智〜御嵩間、竹鼻線江吉良〜新羽島間、河和線、知多新線、蒲郡線、三河線知立〜猿投間、豊田線・・・末端ばかりだよ
※築港線運用時(大江)
小牧線は各務原線、広見線と共に比較的最近まで釣り掛け電車が走っていた。最後はこんな新しい感じの更新釣り掛け電車3300系だった。こんなのが走っている時代に来ておくべきだった・・・
<犬山>
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広い構内でひっきりなしに電車が来る
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さっき乗ってきた編成311F
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豊橋行特急3261。名鉄も銀色の電車が増えてきた
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6907。6000のマイナーチェンジ車6500系の2連版6800系。名鉄の主力6000系列だが、これの比較的新しい番台でも既に四半世紀走っている
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奥のホームから広見線、小牧線を跨いで犬山線へと発車してゆく普通東岡崎行き。本線系統でも2扉普通電車が走る名鉄は凄いところ。急行用として増備された5700系や機器流用の5300系もローカル運用が主体となった
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折り返し普通新可児行となる6208。ワンマン化されてない初期製造の6000系は希少。この編成は2次車。名鉄ではもっとも古い部類の車輌であり、瀬戸線配置車(4000系に置き換え済み)から廃車も始まっている
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去就が注目されるのはこちらの1000系パノラマスーパーだろう。かつての両端展望車特別車編成は姿を消し、座席指定車と一般車との併結編成で生きながらえている
犬山→中部国際空港:2005 16:50 μスカイ「中部国際空港」 1号車3A、B
久々μスカイ
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例によって、モニターごしに前面展望が出来る
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海を渡って
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中部国際空港(セントレア)へ
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クラスJあいてねぇ・・・
空港でしばし休止
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きしめん天丼みそかつ!
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ごちそうさま♪
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知多娘!!
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いっぱいいる!!
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常滑セラ。かわいい///キャスターなんだ
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夕景の展望デッキ
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ディズニー映画をモチーフにしたイルミネーション展示していた
飛行機は・・・というと
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ANAのB767以下
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B737−500スーパードルフィン。−500見る機会も減ってきたな
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いつのまにかコックピット上の小窓は埋められているし
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エティハドのA330−200
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タイ・インターのB787−8
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フィリピンのA321。シャークレットが付いたんだ
名古屋・中部→東京・羽田:JL208 20:40発 JA310J B737−800 49A、B
使用機到着遅れで10分延発。20:50発に
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B737ながら、全席にモニターが付く国際線使用機材。国際線の間合いで中部と羽田の間を飛ぶ
直前まで予約が出来たのでガラガラかと思いきや、ほぼ満席くらいの搭乗率。羽田までは40分程度なので混んでも問題はないが
当初は大阪から帰るつもりでいたが、中部〜羽田便を思い出し経路変更した次第。割と直前に予約したのだが、空席はかなりあり、そんなに搭乗率も高くないのかと思ったらそんなことはない。本来の目的としての国際線接続便として機能しているのだろうか。名古屋〜東京の空路は新幹線開業で途絶えて久しく、成田発の国際線乗り継ぎ便(国際線利用旅客しか乗れない)はあったものの、空路としてどれだけ維持できているのか、無くなるのも時間の問題ではないか?との思いから今回組み込んでみたのだ
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羽田に到着した310J。いやぁ、近い近いw
了