桜残雪上越紀行
<2015/4/11>
ちょっと新潟までイベントに。頑張れば日帰りも可能だし、当初は一泊で予定していたが、結局二泊。明けと公休をフルに使って出かけてきた
当日、土曜日は明け番の日なので、一旦帰宅後昼から出立。流石にこの時期まで来れば雪の心配はなかろう?ということでSAで
圏央道高尾山ICから北上開始。土曜日なので交通量は多いが、もう午後なので流れは良い
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上越国境を前に駒寄PAで小休止
この先、SAにとっては未知の区間。強くなる風の中、清水越えの急坂に挑む
天気が段々怪しくなってきて、曇天模様に変わる頃長い関越トンネルに突入。全長11km延々と直線が続く隧道・・・抜けた先は・・・
雪の壁に霧やねん・・・
速度のアベレージを落として走行。高速道路とはいえ、知らない路線なので慎重に。さすがに凍結は無いだろうが、降雨で滑りやすくその上に路面がくそみたいに悪い
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セカンドストップ堀之内PA。恐らく雨は暖かいのだろう、しかし地表は寒く、また冷たい雪に降り付けるので一面ガスってしまう
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関東はもう桜も散ったというのに、この辺りは春どころか冬がだらだら続いているかのようだ・・・
堀之内まで来ればもう長岡は目と鼻の先。平野に近付くに連れて視界も広がってきた。長岡ICでおりんりん。今日の宿はインターすぐの温泉付きホテル
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部屋はベッドの洋室だが、床は畳み敷きになっていて素足で歩ける面白い構造
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晴れた!!
写真右がわにクリーム色のセメントサイロが見える
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遠望したセメントサイロ。あの下を越後交通の列車が走っていた。左右方向に線路。左が与板、大河津、寺泊方面。右が西長岡。線路は西長岡でスイッチバックしてホテルの南側を通って信越本線来迎寺へと繋がっていた
サイロのやや左手に日越駅があり、糸魚川の明星セメントから貨車が運行されていた。この先、越後関原までが平成五年まで残り貨物営業を続けていた。それより大河津方面へは昭和50年に廃止。最後まで残った西長岡〜来迎寺間も平成7年に廃止されている
散歩がてら見に行こうかと思ったが、思いのほか時間が無くて今回は断念。いろいろなレポを見ると近年まで比較的残っていた遺構もここ数年でかなり撤去されていると聞く・・・
急ぎ朝食を済ませて新潟へ。距離は50キロほど。1時間もあれば充分かな?
市内を横断して朱鷺メッセへ
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イベントで店番。特段知り合いも友人も参加してないイベントなので、特筆すべきことなし
再び車で。行きは新潟西で高速おりんりんしたが、帰りは新潟亀田から
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黒埼PAで小休止。おやつもりもり
その先すぐの巻潟東でおりんりん。せっかくなのでちょっと寄り道。ここまで来たら見ておきたいものがあった
広々とした越後平野の農道を進む。長閑
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中之口川のほとりにぽつりと残る、旧新潟交通燕線月潟駅。1999年4月4日営業終了。翌5日に廃線となった
廃線間際の99年の1月に訪れて以来、実に16年ぶりの再訪である
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桜とSAとモハ11。旧本線上はレールが残されたまま駐車場になっている
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桜も見頃で丁度良い時期に来れた
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保存車輌はかつての起点、東関屋方からモハ11
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小型車体が好ましい、電動貨車モワ51
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国鉄から譲渡されたラッセル車キ116。動力は無く、モワに押されて走行した
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モワ51の車内。いろんな資材が置いてある
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モワ51の運転台。簡素ながら機器はほぼ残っている感じ?
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駅舎からモワ51、キ116を見る。これだけ切り取ると現役時代となんら変わりは無い
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モハ11を正面から見る。最後に残ったのは他社路線と一切接続しない東関屋〜月潟間だったが、東関屋から東へ県庁前まで路面区間を走行していた時期には大型の排障器が取り付けられていた
新潟交通を代表されるこれら3両は、4月4日の営業終了後、翌日の廃線当日に3両で東関屋(途中白根で3両に組成しなおされた)から月潟に回送され留置された。これが新潟交通燕線を走った最後の列車となったのである
以後、定期的にお色直しをされ、整備をされつつ16年を経た今も月潟駅で往時の姿を留めている
<おまけ>
このままだとすぐに紀行終わっちゃうので、現役時代の姿を少し
訪れたのは廃止も間際の1999年1月。4月には廃線なのでもう残り3ヶ月。もちろんお名残乗車のファンも多かった
当時は仙台に住んでいたので、東北本線で郡山に出、磐越西線で五泉へ、同じく年内に廃止予定とされていた蒲原鉄道を訪れ、その足で東関屋までやってきた
丁度月潟行の電車が出るところだったのでそのまま乗車。終点の月潟を目指した

久々の釣り掛け電車に揺られて終点の月潟に到着。交換可能駅だったが、この先燕までの路線が廃止された際に棒線駅に改装された。かつてのホームはそのまま残っていた
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今の月潟駅だが、隣の中之口川管理道路拡張により、燕方面行ホームが内側に少し移設されている

月潟駅ホームより燕方面を見る。線路は少し先まで続いている。この先の区間の廃止は1993年、この時点で6年ほど前だが撤去工事が行われている

車内寸景。傘は入っていない・・・雨が降ると載せるのかな?
本数も少ないのでそのまま乗ってきたモハ18で東関屋へと戻る

乗車中に車内を撮影。なりは近代的だったが、車内は木の床で走り出せば重々しい釣り掛け音。いかにも地方私鉄の小さな電車だった

東関屋に到着後、急ぎ沿線へ。東関屋駅西方で月潟へ折り返して行く18を撮影
うきはの見た最後の「走る」新潟交通の姿である

東関屋のホームから見た車庫の様子。中央のモハ11が月潟で保存されたそれだと今更気付いた
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主にラッシュ時に使用されたTc、クハ46。クハ45は6両が在籍したが、月潟〜燕間廃止時に4両が、同年末に更に1両が廃車され、末期に残っていたのはこの1両だけであった。元小田急のデハ1408

大型車体で2両固定の収容力を活かしてラッシュ時に活躍した元小田急の2220。ワンマン対応になり排障器がついた位で小田急時代そのままの姿で活躍した
すでに検査切れで本線走行は出来なくなっていたようで、最終日に向けて以後走行する機会はなかった模様である
<さらにおまけで>
せっかくなので当時もう1つ残っていた私鉄蒲原鉄道を

五泉駅に進入するモハ71
ラッシュ時にはこちら側に国鉄払い下げの気動車改造クハを連結して2両で走った

五泉駅ホームのモハ71。新潟交通が小田急なら、こちらは西武だった。元武蔵野鉄道の車輌

モハ71車内。こんな昔ながらの車輌が21世紀目前まで走っていたのだから驚きである
<閑話休題>
月潟駅を後にし、再び南を目指す
昨日はよく見えなかった関越道も今日は視界もクリア。ちょっと寄り道しすぎて時間も押している。夕闇迫る中関越道を下る
沼田で降りて、山道を少し。もうすっかり陽も暮れた19時過ぎに老神温泉に到着
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早速、食事を取って
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温泉でさっぱり。川面に面した露天も貸切でのんびり〜
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あーさー
結構な渓谷だった
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ガレている
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雨でも降っているのかと思っていたが、小さいながらも滝があった
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くまー!
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久々に温泉街のある古くからの温泉場に来たが、天気も悪いし早々に退散。元々泊まるだけのつもりだったしね
とはいえね、真っ直ぐ帰ってもすぐそこだし、ちょっと回り道していこうかな?なんて、丁度良いから赤城越えてから帰ろうか?なんて山を登り始めたらね
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ガチ雪だし!!
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雨だったのだが、高度が上がるに連れて断続的に雪になり、路面も積雪、シャーベット状に変わりつつある。これ以上は危険と判断して元来た道を引き返す・・・
結局、渋川から関越道で帰還
了