備讃瀬戸内湯煙紀行
事の発端は10月末に出かけたこのイベントである
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お台場で行われたモータースポーツジャパン2014。その名の通り、モータースポーツに親しんで貰おうという趣旨のイベント
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いわゆるモーターショーや、街の自動車イベントとは異なり、がっちがちのレースカーやラリーカーばかりが展示されている
そこで偶然見つけてきたのがこれである

MAZDA FAN FESTA2014。そう、マツダ車ファンによるファンの為の祭典である
イラストに描かれた数々のマツダ車。そこに新型ロードスター、レースカー787Bの姿を認めたとき、うきはのこころは決まっていたのだった・・・
<2014/12/1>
今年も残すところ、1ヶ月となった。最後の旅行を目前に仕事に勤しんでいるうきはの元に上司から一本の電話があった
先輩への取次ぎの電話だったが・・・
「え?休みの斡旋ですか?」
つまり、休まないか?というのだ
「いつですか?5日??」
という言葉を聴いた瞬間、うきはは叫んだ
「私が休みます!!」
先輩から電話をひったくり、5日泊まり勤務6日明け勤務を休暇に差し替えることに成功した
旅行の航空券は明けで出かけられる時間を考慮して6日の午後の便を確保していた。もちろん、明けで出かけて問題はないが、休めるなら休めるにこした事は無い。その方が身体は断然楽だからだ
<2014/12/6>
前日ゆっくりと休養をし、8時起床。9時半に自宅を出発。前日休暇にした関係で、SAで出発が可能となった。若干の混雑はあったものの、11時過ぎには無事に羽田空港に到着

土日という事もあり、駐車場予約はできなかったが、無事にP4別館に駐車。いささか早いが出発ゲートへ

ゲートは68と一番奥。スターフライヤー見ながらちょっとご飯

海鮮ずくし♪
羽田→高松:B737−800 JA53AN 13:40発 NH997 28K・J
今年4度目の737−800である。国内の小型機は大きさが丁度いいのか、ANA、JAL、スカイマーク、ソラシドエアと各社が使用しているため、日本中の空港航路で見られる最もポピュラーな飛行機になりつつある。一時期国内線は何処へ行っても767だったが、最近では-700含めて殆ど737の感がある
ANAグループだけでも29機運行されているのだから、そりゃ何処へ言っても見かけるよなぁ・・・(書いてるうちに30機目導入のニュースが入ってきた)
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Dランウェイを離陸。南下後西へ
中部地方から近畿地方にかけては雲が多めで下界の様子も窺えなかったが、降下を始めた兵庫辺りからは下も見えるように
姫路城を見ながら赤穂を掠めて瀬戸内海上空に。小豆島を眼下に見ながら降下。今日はそのまま海側からアプローチするようだ
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出発する春秋航空の737と入れ替わりにスポットイン。ようこそ、アートの聖地へ。高松到着1年半ぶり
高松空港→空港通り・一宮:ことでんバス 15:25発 「高松駅」
前回のルート
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歩いて駅へ。軽トラックの荷台だけ草むらに放置されていた。草むらのヒーロー
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丁度バスを降りた直後に39分の築港行きが発車して行ったのを遠目に見ていたが、すぐに次の列車があるので気にしていない
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もう少しアクセス駅としてアピールしても良いと思う。バス停ももう少し近くに・・・
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中々マニア心くすぐるラインナップ。都会では免許取得率は低く、教習所もこうしたプラスαな付加価値で教習生を集めていたが、そもそも免許の取得率の高い地方においてもこうした付加価値がないと教習生が来なくなったということか・・・
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琴平行は1088。琴電に来た京急1000でも初期のグループ。製造年は1960年なので、すでに50歳を超えている。この世代のカルダン駆動車でももう半世紀以上が経過している
空港通り→高松築港:1212 15:54発 「高松築港」
600改造の1070が良かったな・・・とか思ったが、全部隣の仏生山で寝ていた・・・
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高松築港に到着した1212。幕は折り返し滝宮に変わっている
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ごはんがなければうどんをたべればいいじゃない
目のイキ具合と汁のはみ出し具合がこりゃいかん
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玉藻公園は今年もパス。薄暗いし寒いんだもの・・・なんか修繕工事もしているし、それが済んでからゆっくりと出かけてもいいかな?
JR高松駅へ移動。まずは指定券を確保の上、うどんと洒落込む。あったかい〜♪
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いろんな電車(電車じゃないのも)いるけど、ここも銀色のやつばかりだな
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2両の特急いしずち19号。宇多津からはしおかぜを併結するとはいえ高松〜松山間の直通旅客に提供する列車が2両きりというのは・・・その程度の旅客流動なのかな?
もともとは宇高航路を中継して高松が本州への玄関口であり、徳島、高知、松山への出発点だった。凋落甚だしい。丸亀、宇多津、坂出辺りの人は瀬戸大橋を越えて岡山に通勤通学するというしね
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乗車はマリンライナー50号。5104最後尾の5両連結
高松→岡山:5104 17:10発 3150M 快速マリンライナー50号「岡山」 1号車G指定席 7C・D
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グリーン乗ったぜ!!最近はこうした安楽に逃げがちw
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こんがりうどん。うどんスナック♪
夕方という事もあって、グリーンも階下の指定も比較的乗車は多い。「列車は5両繋ぎです」という新しいタイプの車内放送を聴きつつ、高松定刻に発車
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薄暮の瀬戸大橋に差し掛かる
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辛うじて見えるかな?
瀬戸大橋を越えて児島でJR西日本の乗務員と交替。「ドアから手を離してお待ちください」で西日本エリアを実感
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完全に日も落ちた岡山に到着。隣のホームには吉備線のキハ40 2043以下2連
今回の鉄道移動はこれで終わり
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岡山駅前ではイルミネーションが設置されていた
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クリスマスも近いしね
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岡山といえば桃太郎。桃から生まれていたw
イルミネーションを満喫したら、駅徒歩二分の三井ガーデンホテルに
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パックツアーの指定ホテルになるような綺麗でシックなホテル。ビジネスホテルではない
各所でカードキーの認証が必要で、セキュリティ対策バッチリである。エレベーターの起動すらカードキーが必要で、かごの中でカードキーを翳さないと各階ボタンを押しても反応しない。7階に大浴場があり宿泊客なら誰でも利用できるが、男湯、女湯それぞれにカードキーがあり、逆のキーでは浴場への扉が開かない仕組みになっていた
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きびだんごをつまんだらおやすみなさい
<12/7>
近所のタイムズレンタカーで車を借りて、いざ吉備路へ
岡山市内を越えて岡山ICから山陽道へ。上り姫路方面へと車を走らせる
30分程の和気ICで高速おりんりん。後は一般道。和気駅を回りこむように川を渡り、同和片上の廃線跡を一瞥し更に東へと進む。事前に調査した「狭い」道のルートに連れてこられているな・・・これ

和気から374号線を北上して、県道90号線を行くのが道も広くてメインルートかと思われる
狭隘路の峠道を後続を大きく離しながら北を目指す
週末岡山北部は「雪」予報が出ていたが、昨晩降雪があったのか、山村の集落はうっすら雪化粧である
このレンタカー・・・ノーマルタイヤなんだけどな・・・・・・・・・・・・・・
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予定通り、10時少し前に岡山国際サーキット到着。スーパーGTや耐久レース開催日と異なり、周辺道路も駐車場も空いている
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借りたのはデミオ君。このクラスのレンタカーだと遭遇率は高い
さっそくイベント会場にGO!!
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ステージ脇には注目の新車。新型NDロードスターが展示されていた
先日発表されたばかりで、完成車もまだ何台もない車だが、予定通りに展示。いろいろ分からない部分は多いが、これから期待大の車
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ずらりと並ぶコスモスポーツもイベントならでは。なかなかこの数並ぶ姿は見られない
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ミーティング&デモランのあるロードスターもずらり。ファンが多いため、圧倒的に数は多い
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あ、うん、いるよねwちょっと見辛いけど、左は文。隠れている右側は天子だった
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パドックには直前になって参加がアナウンスされた幻のロータリースペシャルRX500の姿が!!
お披露目当初は緑、東京モーターショー出展車を黄色に統一することから途中で黄色に、修繕時にヘッドライトを追加し、現在のシルバーへと塗り替えられてきた
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コスモスポーツの後継のスポーツカーをどうするか?という計画の中で出てきたコンセプトカーがこのRX500
サバンナやRX−7のではない、コスモスポーツの後釜としてその時代にこのスタイリングの車を作り上げているのである
目指した速度は250キロ。マツダのコンセプトモデルは実際に走行できるものが多いが、これもそのうちの一台である
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高速性能で切り離せないのがcd値。これを良くするため、当初0.312あったものをリアをぶった切るなどして、0.11まで減じた。このリアのデザインは高速性能追及の賜物であった
RX−7登場時に販促のためにあちこちに出展されたが、以降30年ほどを倉庫で保管、2008年に再度修繕され今でも走行可能な状態を保つ
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そして787B#202。ルマン優勝車の#55がミュージアム入りとなったために、国内レース向けに製造された003号機
ルマンで必要な高輝度ヘッドランプが不要なためデザイン上も省略されている
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ルマンで優勝した55号車とは塗装パターンが逆になる
コックピット頭頂部にカメラが載っているw
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同じく202号車だが、こちらは前モデルの767B
こちらもルマン出場車である
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ファミリアロータリーさんたち。歴代ロータリー車の中でも、まず街中で見ない世代の車たちだ
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S124サバンナGT、2台。多くが潰されて現存率が極端に悪いサバンナだが、複数台が快走していた。あるとこにはあるんだな
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前期型SAベースのIMSA仕様
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パドック裏とか入れるのもこうしたイベントの醍醐味よね
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セーフティもマツダ車。SE3P・RX−8。あえてのこだわりなのか、岡国はこれがデフォなのか
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ロードスター生誕25周年記念のトークライブ。左側に先述の新型ロドスタが展示されている
司会左端はTipo誌編集長佐藤氏、その次左からマツダOBの貴島氏、小早川氏、チーフデザイナーの中山氏、新型開発主査の山本氏。ロードスターの軌跡に携わった歴代の方々のトークショーであった
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ひとしきり中を見たので、レース観戦、デモラン観戦のために観戦席に。ホームストレート奥のコーナー部分に
今回、久々にEOSと望遠キットを持ち出したのだが、久々すぎてバッテリーがお亡くなりに、慌ててサーキット事務所に行って単三電池かき集めて戻る
戻りしなに確認したところ、パドックでは787Bのアイドルアップ、新型ロードスターが展示スペースからパドックへと移動中。着々と走る準備が進んでいた
デミオラン
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ロードスターも走った!!
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新型に引き連れられて次々と歴代ロドスタが続く。やはりファンは多いね
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コスモスポーツも疾走。60年代の車だって元気一杯である!!
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走るぜ走るぜ!パンパン走るぜ
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ファミリアロータリーも元気だね!
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SAとサバンナ
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絡んで走っていたサバンナ2台
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レナウンカラーのSA22C
SAは余り多くなかったなぁ
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満を持して登場の767B、787B
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4ローターサウンドの快音残して走り抜けていく787B、202号車
遥々やってきて良かった瞬間である
この後、快走を続ける787Bとは裏腹に、767Bはトラブルでストップ。2台絡んでのパレードランは数周で幕切れとなってしまった

バックストレート先のエスケープゾーンで回生を計る767B。しかし、再び自走することなく牽引されてパドックへと戻らざるを得なかった
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さすがに車は多くなってきた
767B、787Bの走りをこの目に焼き付けて大満足の岡山国際サーキットを後に
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永遠のライバル、サバンナとKPGC10ハコスカGT−Rが肩を並べる姿を眺めてから、本日の宿へと出発
宿は至近の温泉。湯郷温泉に取っている。車なら1時間と掛からない距離である
往路とは異なり、サーキットから北へ。県道46号線、滝宮から90号線、真上から414号線を辿り、国道374号線で湯郷温泉へ
入宿には少し時間があるので、温泉街にあるオルゴール博物館を見学。その後、本日の宿
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竹亭へ
湯郷温泉は開湯1200年余りを誇る歴史と由緒ある温泉。20件ほどの旅館ホテルが立ち並ぶ。奥津温泉、湯原温泉と共に美作三湯と呼ばれる
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さっそく、展望浴場でひとっぷろ♪
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夕食はしゃぶしゃぶ
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デザート!!
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離れのように露天風呂もあるよ。ちょっと寒いねw
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今日も実り多い一日でした。おやすみなさい
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おはようございます
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ガスってる!
湯郷は雲海が見えるそうで、宿から車で10分くらいのところ、山の上に展望台があるそうだ
明け方にでも行ってみようかと思ったが、起きたらまぁ、そんな時間だったので展望浴場で一風呂浴びただけで・・・
本日の引き続き自動車。一旦、林野方面へ北上、国道179号出雲街道を西へ。西勝間田〜勝間田間で姫新線佐用行快速2826Dキハ120とすれ違う。2時間に1本程度のローカル線なのでエンカウント率は激低い
新河辺T字から左国道53号に入り津山市街へと。人口10万人ちょっとの津山市は岡山県北、美作地方の中心都市。大きく市街地が広がり活気もある。山間部を走る中国道沿線では兵庫県三田を出ると次の中核都市、この次は新見だろうか?
津山に来るのは久々。家の父親の、母方の遠縁の親戚が居るそうだが、正直会った事もないので個人的には縁のない土地であろうw
ミステリー好きの方なんかはご存知かと思うが、津山事件、「津山三十人殺し」と呼ばれる連続殺傷事件が昭和13年の5月に起こった。場所は現在の津山市北部加茂町行重、当時は西加茂村と言った。深夜の2時間あまりの間に発生した、怨恨による大量殺戮事件で、自殺した犯人を含め31人が死亡、3人が重軽傷を負った。猟銃と日本刀で次々と集落の村人と殺傷し、最後は山中で自ら猟銃により命を絶った。本紀行と直接関連はないので詳細は省くが、犠牲者数がオウム真理教事件(27名)をも上回る日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件である。横溝正史氏の作品「八つ墓村」でも事件が引用されているなど、当時としても衝撃的な事件であったとされる
で、なんでこんなところでこの話を出してきたかというと・・・そのうちの親戚が件の集落、生き残りの寺の住職だと言われてる・・・果たして?
津山の市街を抜けて、
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美作一宮、中山神社に到着。社名は現在「なかやま」と読むが、かつては「ちゅうぜん」「ちゅうざん」と音読みしていた。別称として仲山大明神、南宮とも呼ばれた
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推定年齢500歳の大銀杏。平日の午前中とあってか参道には人気がない
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御手洗川。あそこで禊をするのかな?お世辞にも綺麗とは言い難いが・・・
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さらに境内へ
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本殿は「中山造り」と呼ばれる珍しい建築様式。入母屋造妻入の他地方には例を見ない。主祭神は鏡作神 (かがみつくりのかみ)、相殿神は天糠戸神 (あめのぬかどのかみ)、石凝姥神 (いしこりどめのかみ)
社伝では慶雲4年(707年)に創建とされているが、実際は美作国が備前国から分かれた和銅6年(713年)に創建されたと見られている
社殿は尼子晴久の美作攻めの際に消失しているが、美作平定後に本人の手によって再建されている
神域で身も心もリフレッシュ♪
再び車にて。津山市街を南下。院庄ICから中国道に入り更に西へと進む。交通量は少なく快適。美作千代付近にて津山行858Dキハ120単行とすれ違う。ここも2〜3時間に1本程度の列車密度だが先ほどといいエンカウント率は高い
北房JCTから岡山自動車道に。有漢(うかん)ICで地上へと。県道49号線を南下し、木野山駅手前から国道180号に。EF64でもこないかなと左を見つつ高梁の街中へ
山道をのたのた上がって山腹の観光駐車場に到着
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700mで徒歩20分くらいなら・・・
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ふっつーうに山道だわこれ。装備なんもないぞwww
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大体な、年に1回位は足首こにゃるので慎重に歩を進める
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心得の通り!あわてず、ゆっくり!
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随分高いところにお城を造ったんだね。向かいの山の中から「パンパン」音がしているのは害獣駆除でもしているのだろうか?
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眺望が開けてきた
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中太鼓の丸、櫓台跡から高梁の街を望む。柵等は無いので注意が必要
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大手門跡まで到達。本丸まであと少し
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やっと城っぽくなってきたね
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沿革
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本丸到着!
愛媛の松山城との混同を避けるために、備中松山城と呼ばれるこの城は、標高430メートルの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある
まさにこんな山奥の山の上に良くぞこれだけの石垣、天守を築けたものだとひたすらに感心させられる
岐阜県の岩村城、奈良県の高取城と共に日本三大山城とされている。近世、江戸時代の備中松山藩では山城のために政策に不便であり、山麓に所謂「出張所」である「御根小屋」という御殿を構え、そこで藩政を行った
では、登城
山城ということもあり、天守は大きくない。2層2階で、西側に半地下のようにして付櫓(廊下)が附属する複合式望楼型天守である
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暖をとったのだろう。囲炉裏跡
急で狭い階段梯子を登ると2階。10畳程の広さである最上部
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天守からの眺め。本丸部分は平場が比較的広いので、2階程度の天守ではそれほど下界の眺めは望めない
明治6年の廃城令以降、山頂にあるが故に放置され荒廃が進んだが、昭和初期(戦前のこと!)に修繕が行われ、以降数次の修繕が重ねられて現在もその姿を遺しているが、石垣などに自然植生の被害が進み崩落の危機にも瀕している
登りは右から来た。どう見ても左の方が歩きやすそう・・・帰りは左を下ろう
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舗装されて自動車が登ってこれる道を淡々と下る。楽だが味気ない。行き帰りでルートを変えてみるのが正解だったね♪

ぐりんぐりん回りながら山の上に登り、賀陽ICを目指す。再び岡山自動車道を南下し岡山総社ICへ
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次にやってきたのは備中高松城址
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直ぐ横を吉備線のキハ40が駆け抜けてゆく
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先ほどの松山城と打って変わって、平地にある城跡
城の形式は梯郭式平城で、石垣は築かれず土塁によって築城されていた。城の周囲は低湿地帯でこれらが天然の堀を形成している
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高松城は水攻めで有名。驚天動地の奇策!!
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戦国時代、天正10年に羽柴秀吉が毛利攻めの折、その配下である清水宗治守護する備中高松城攻略における戦である。秀吉は3000〜5000の兵が立てこもるこの天然の要害にたいして、その利を逆手に取った。秀吉は周辺の小城を攻略し、先鋒宇喜多勢以下三万の兵によって2次の攻撃を行うも撃退されてしまう。毛利方4万の援軍が迫る中、秀吉は主君信長に1万の増援を依頼するも早急な高松城攻略厳命され水攻めを決意
写真のように足守川から引水するように築堤を築き、高松城をすっぽりと囲む。補給路を断たれた清水方は兵糧が枯渇、毛利方の援軍が来ないことから兵の士気も低下してゆく。毛利方援軍は至近まで到着していたが、すでに堤防が完成しており人造湖のために近付くことも出来なかった
天正10年6月4日、清水宗治以下3名切腹により高松城攻防戦は終焉を迎える。3月から始まり、実に3ヶ月間を要した戦であった。その間に本能寺の変が起こり信長が落命。明智討伐のために早急に「ケリ」をつける必要もあったとされる。毛利方と和議を結んだ秀吉はすぐさま(と言っても毛利方の出方を窺うために1日ほど駐留したそうだが)に畿内方面にとってかえし、山崎の戦いへと赴く。所謂、「中国大返し」(または備中大返し)である。以降、毛利は秀吉の平定に加担することから、西国を含め九州地方に至るまで全国平定への重要な足がかりを作った戦いとも言える
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「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」清水宗治はこの句を辞世の句としたため、自害した。3ヶ月に及ぶ敢闘、家臣や兵士への配慮、その立ち居振る舞いにおいて、秀吉は宗治を武士の鑑として賞賛した
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いまは小さな公園になっているこの地が、大きな歴史の転換点の1つであった。近世は普通の街中にこうした遺跡、遺構が数多く残っており、数百年の遠い過去ながらそれでも身近に感じられるところが魅力なのだと思う
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いつもバスから見上げるでっかい着陸進入灯を撮ってから空港へ。入口が難解で何回も入りなおしたわ
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ターミナルにはekスペースカスタムが展示されてた。なんでやよ?とか思ったが、よくよく考えたら、倉敷の南、水島には三菱自の工場があったわ。水島臨海に三菱自工前って駅あるしな
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東京からの655便が到着。折り返し搭乗する658便となる
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B787−8、JA818A
岡山→羽田:B787−8 JA818A 17:10発 NH658 2A・C プレミアム
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プレミアムクラス乗っちゃったぜ!B787のプレミアムは初めて。出来ればビジネスクレードルタイプに乗っておきたかった
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肘掛部分は小テーブル。上写真のようにカップくらいなら置ける。TOP部分に何やら付いている・・・
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あ!なるほどね。こういうギミックは楽しいね
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テーブルは大型一枚もの
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反対側肘掛内にはPCU(パッセンジャーコントロールユニット)。個人用モニターの無いタイプなのでシンプルなもの
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リクライニング、フットレスト、レッグレストのレバーそれぞれ。ビジネスクラスのそれだと、この辺りは電動になる
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夕方の便なので機内食も出る。暖かい味噌汁がイイネ!
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1時間程度のフライトだとちょっと忙しいけどw重箱のお弁当
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ていう感じのお食事お品書き
満腹堪能してたら羽田はあっという間だった
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羽田に到着!
来年のファンフェスタは三次だって!来年も行くお!!
了