越前・越中紀行


<2002/3/31>

 日付が変わった0時過ぎに遅番勤務終了。自宅に帰って荷造りし、始発が動き出すとともにまた職場の羽田空港に繰り出した

東京・羽田→大阪・伊丹:JD201 6:50発 B777−200 JA8978 19J

 大阪行の初便。レインボーセブン初乗り。機体のど真ん中で窓側だけど窓の外には広い翼しか見えない
 レインボーセブンは各シートにモニターが付いているのが売り・・・・・・なのだが、伊勢湾上空でモニター点かなくなった!隣は点いてる。前も点いてる。私のところだけですか???
 せっかくMD-11以来のパーソナルモニターを堪能しようと思っていたのに・・・・・・
 こんなことならケチらずに1000円UPでレインボーシートにすれば良かったな。エアシステムの777は他の国内2社とは異なり、国内で唯一3クラス仕様で運航されている。特にスーパーシートとエコノミーの間のクラス。レインボーシートはエコノミー+1000円でスーパーシートに比べて前後間隔4インチ狭いだけという破格のシート。なんでこっちにしなかったんだ?エアシステムはどうしても大手3社のうちでは後発組に甘んじてしまうのでこうゆう特色が無いと生き残れないってことね。なお、エコノミーが2−5−2の9アブレストのところ、レインボーシートは2−4−2なので座席そのものもゆったり仕様だ。スーパーシート12席、レインボー38席、エコノミー330席の合計380席

○ 伊丹(大阪空港)→蛍池:1106 おそらく門真市行?

<蛍池>

 雲雀丘花屋敷行3062。看板付きだから撮影したけど、これ全然なんのマークなのかわからんね

○ 蛍池→梅田:5136 普通「梅田」

<十三>
 快特河原町行きとすれ違う。京都線特急は6300系。阪急にも快特ってあるんだな

  大阪→福井:クモハ681−503 8:42発 4007M 特急サンダーバード7号「富山・和倉温泉」 6号車1A 普通車(喫煙)自由席

 後3両は金沢で切り離し、七尾線直通和倉温泉まで行く
<大阪→新大阪>
淀川鉄橋上でANAのB767とクロス
<吹田>
「団体」表示の583系とすれ違う
<高槻>
キハ181とすれ違う
<向日町>
国鉄色のキハ58や28たくさん。エーデルもいる
<京都>
近鉄、ビスタEX、5200を見る
原色の117系もまだいるんだね
<山科→西大津>
トンネル内で日本海3号とすれ違う
晴天、小春日和の琵琶湖を臨みつつ、列車は湖西路を時速130キロで快走する
<敦賀>
小浜線のキハ53は2両がお昼寝中
<武生>
トワイライトエクスプレスとすれ違う。いつかは乗りたいね〜

○ 福井駅前→福井新:クハ610 普通「武生新」

 610はもと名古屋市交車。モハ610+クハ610で2両1編成が在籍している。モハ610は元1204、クハ610は元1203で名城線で活躍していた。1999年に導入されたが、導入時に車体中央のドアが廃止され、3連ユニット窓が移設された
 次の市役所前からは×。市役所前で武生方面行きはスイッチバックして進む
<公園口〜木田四ツ辻>

 サンクス広告ラッピングの自社発注オリジナル車、200形とすれ違った。当時の軌道法で全長が30m以内に収まっていないといけないということで、15m級2車体連接の独特なフォルムで登場。2連3本が製造された。後で乗ってみたい車両だ
<福井新>

 乗って来た610を後追いで

 路面区間が終わった福井新で下車。福井鉄道は「〜新」という駅名が多い。多いっても現状、他には終点の武生新だけだが。路線廃止前は武生から東へ伸びていた南越線に岡本新駅があった

 構内の外れには保線基地があってホッパー車が留置されている

 次の武生新行電車は静岡から来た300形。1986年から87年にかけて2両3編成が導入された。当時、福井県内の私鉄では初めての冷房搭載の電車だった

  福井新→田原町:モハ202−1 普通「田原町」

 目論み通り、オリジナルの200形がやって来たぞ!これで福井側もう一つの終端田原町まで行こう。それにしても吊り掛け走ってねぇな・・・・・・
<田原町>

 福井の目抜き通りのど真ん中をゴロゴロと走ってきて、プイっと左曲がって終点の田原町。乗って来た202は携帯電話、Jフォンの広告電車
 奥側には京福電鉄三国線のホームがあるが、現在電車は発着していない

 運転台も撮影しておこう。今度いつ来れるかわからないし。主力電車だとしても名古屋から地下鉄改造の電車がたくさん来たらいきなり無くなるかもしれないしね

○ 田原町→市役所前:モハ202−1 普通「武生新」

<市役所前>
 駅前への支線分岐駅、市役所前まで乗車して、次の違う電車を待つ。どうせなら色々乗りたいし、せっかくなら吊り掛け乗りたい

 コカ・コーラカラーのちょっと古めかしい電車がやってきた

 塗装のせいで惑わされそうだけど、側窓の形状とか、前面窓の改修具合から期待が持てそう

 武生からやって来た電車はスイッチバックして福井駅前まで行く。あの電車が武生方面行になって戻ってくるまで待とう

 その間にやってきた田原町行は600形の単行電車だった。最初に乗った610の単行バージョンで2両が在籍している。日中なんてこの電車で十分な需要しかないんだな、正直なところ

  市役所前→武生:モハ82 普通「武生新」

 元は南海の電5形で、1921年に製造された。当時の流行りで京浜電軌や、大軌(現近鉄)等にいた正面半円系5枚窓の電車の一つ。
 当時は単行運転が可能な形態で、1948年に福井鉄道に4両が譲渡されたが、1956年に日車製の鋼製車体に載せ替えられている。1978年には片運転台化され2両1編成に改められている
 以後定期的に更新工事が行われ、1987年には国鉄の廃車発生品を使用しカルダン駆動化されている・・・・・・
 カルダン駆動化されてんじゃんなぁ・・・・・・
 まぁ、それでも見かけた電車の中では一番古いし、これで全線乗り通すとするか

 福井の市街地を外れるとひなびた田園の中を進む。交換駅のポイント部分には線路全体をすっぽりと囲う雪除けがあるのが福井鉄道の特徴
<西武生>
 車庫のある駅。古びた駅舎。留置線にはシルヘッダーゴツゴツの旧型車がいる。こっちに乗りたかったな〜。聞くところによると、吊り掛け駆動で残っているのは120形2編成のうち1本と、140形1編成のみで主に平日朝ラッシュ時限定運用だそうだ
<武生新>

 隣のホームにはもう1本の80形モハ81編成が客待ち中。こちらは福鉄のオリジナルカラー。こっちの方が似合う世代の電車だな
 右側にちらっと写っているのは名鉄岐阜市内線から来た560形。元々は北陸鉄道金沢市内線用に6両が製造されたモハ2200形で金沢市内線の廃線と共に名鉄へと譲渡された。名鉄では1988年まで狭小区間だった長良北町への路線で使用されたが、こちらが廃止になったために用途不要になりモ562の1両だけが福井鉄道へやってきた。福井市制100周年記念事業の一つで1989年の1月1日から12日まで福井市内軌道線内区間運転用として用いられたのち、その後は専らイベント用として使われたようだ。北陸から一離れたが、再び北陸に戻ってきた数奇な運命の車両といえよう

  武生→金沢:モハ485−160 加越3号 5号車16D 普通車(喫煙)自由席

 武生からは北陸本線で北上する。
<福井>
 京福電鉄は2000年12月と、2001年6月、2度の列車衝突事故を起こし以後運転を中止。2001年10月には事業廃止届が関係省庁に出されたが、施設はそのまま残っている。現在、第三セクター方式での復活を協議中とのことで近い将来また電車が走るのだろう。列車は全て越前線と勝山線の分岐駅、福井口に集められている。列車運休中でも電気は通っているようで、信号は現示されていた
<芦原温泉>
 右手からの京福丸岡線跡、左手への国鉄芦原線跡が見える
<金沢>

 金沢には国鉄色の485ばかり3本もいた。大阪行雷鳥はボンネットタイプの先頭車

 越後湯沢から北越急行を経由してやってくる特急はくたかは北越急行所属の赤い681系

 運転所に引き上げてゆく雷鳥485系

  金沢→津幡:クモハ415−809 13:30発 845M 普通「七尾」

 1991年の七尾線電化で準備された交直両用車で便宜上415系の仲間とされたが、種車は113系である
 七尾線電化にあっては周辺路線が交流電化だったが、沿線の建築物の関係で直流電化とならざるを得なく、金沢に直通するためには交直両用車が必要となった。運用増に対して新車を増備するにはコストがかかるので、当時福知山方面に運行されていた485系の交流設備を撤去(直流区間しか走らない)し同車を183系化することで、113系を交直両用車へと作り変えた。車体などの設備がほぼ同一で取り扱いも変わらないので415系とし、800番台を附されたのが本系列だ
<津端>
 なんで津端まで来たのかな・・・・・・中途半端だけど、金沢が高架駅で撮影に向いてないから移動したかったのかな・・・・・・

 あと、分岐駅だから特急が停まるかと思ったがことごとく通過してゆくな。さっき見た北越急行の681系はくたか

 続行で来る新潟行特急北越、485系の3000番台。直江津までは先行のはくたかと一緒の線路を走ってゆくのに30分差ぐらいで続行しゆく。用途は違うとはいえ輸送力過剰ではないかな

  津幡→高岡:クハ412−10 14:45発 443M 普通「富山」

 結局また普通列車で移動。見かけるばかりで急行型全然乗り合わせないな
<石動>
 加越能鉄道加越線の廃線跡が見える。ここから城端線福野を経て庄川町まで19.5kmを結んでいた非電化路線で1972年に廃止となっている
<高岡>

 北口の加越能鉄道乗り場へ。時間が解らなかったが、体よく客待ちしている都電型の7062に乗り込む
 富山地方鉄道富山市内線向けの7000形と同形のこちらも7000形だが、かつて直通運転をしていた名残で地鉄との番号重複を避け7051から附番されている。地鉄ともども、都電8000形をモデルとしているが、地鉄が前中扉なのに対し、加越能は前後扉タイプである。
 7000形は51〜53の3両が1961年に登場。次の増備は1965年で7060形として仕様変更の61と62が増備された。地鉄乗り入れ用にこの番台は連結器を装備し総括運転が可能だった。高岡駅前で待っていた7062はこのタイプだ。更に1967年には設計小変更された7070形が6両製造されこのシリーズが出そろった

 7062の運転台
 加越能鉄道は高岡軌道線と新湊港線を永らく運行してきたが、採算悪化の為に2001年に設立された第三セクター万葉線株式会社に事業譲渡し運行を廃止する方針を取った。2002年の2月には加越能鉄道から事業譲渡がなされており、この3月時点では加越能鉄道が運営しているが、4月以降は万葉線株式会社が「万葉線」として正式に運行を開始する狭間の時期となっている。ちょっと微妙なところだが、加越能鉄道が運営している間に乗っておきたかった
 なお、万葉線株式会社は路面電車運営の第三セクターとしては国内初の事例となった。また、加越能鉄道はかつて運行していた鉄道線の加越線を1972年に、軌道線の支線だった伏木線を1971年にすでに廃止しており、今回の譲渡で鉄道事業からは完全に撤退する予定である。万葉線になったことで高岡の路面電車は生き残れることが確定となったが、新型の低床車導入計画もあり、在来釣り掛け電車もいつまで乗れるか判らないので・・・・・・

  高岡→越ノ潟:7062 「越ノ潟」

 釣り掛け〜♪
 駅前電停を出ると左に曲がり、駅前通りを単線軌道で進む。路面電車なんて大都市の乗り物だと思っているのでこんな単線軌道は経験したことがない。時々交換可能な電停があって交換することがある
<広小路>
 ここから複線軌道になる
<旭ヶ丘〜萩布>
 JR氷見線能町駅から分岐してくる日本曹達高岡工場、日本ゼノン高岡工場専用線との平面交差がある。複線の路面電車軌道と、単線ヘロヘロの貨物線の平面交差なんて国内にもう殆ど残っていないと思う・・・・・・いや、これが唯一じゃないか?
<米島口>
 1971年まではここから国鉄氷見線伏木駅前にあった伏木港駅まで伏木線が分岐していた。線路の形状としては伏木線方向が直線で、現在線は右へ曲がってゆく
<米島口〜能町口>
 JR氷見線と、氷見線能町から分岐した伏木港線を跨いで行く
<中伏木>
 中伏木からはJR貨物線と併走。JR新湊駅はぼろぼろ、しばらく列車は入線していないみたいだ
<越ノ潟>

 終点の越ノ潟に到着。1966年まではこの先海を越えて富山地方鉄道射水線と繋がっていた。もっとも、繋がっていた当時は海無かったが・・・・・・

 富山新港開削によって途絶した鉄道線連絡は渡船によって行われている。越ノ潟駅前の渡船乗り場から、富山新港を横断して射水線旧新港東口駅前までを県営渡船が往復している

  越ノ潟発着場→堀岡発着場 「海竜」

 乗客80名、自動2輪10台。料金は無料。所要時間は僅か5分。元々は誰でも通れる道路と橋で結ばれていた両地だが、港湾開削によって往来が困難になった代償で運航開始した渡船。24時間運航をしている

  新港東口→富山駅前:富山地鉄バス

 堀岡発着場の前に連絡バスターミナルがある。この先の鉄道は富山地方鉄道射水(いみず)線で1980年に廃止となった。射水線は鉄道線だが、高床の釣り掛け電車が終点の新富山で市内線に直通し富山駅前まで走るというインターアーバン的な路線だった
 北陸の鉄道は戦前戦中の合併を繰り返して今の姿があるが、この射水線も複雑な経緯をもって富山地方鉄道の一員となっている。新港開削前は先述の通り高岡軌道線と接続していたが、現存する加越能鉄道の新港線はそもそもは富山地方鉄道の路線だったが、分断後に加越能鉄道に引き取られたという事実もある
 高岡側の方が工場や港湾地区を走り需要があって生き残れたが、県都富山に直通出来るとはいえ、射水線沿線は田園の広がる鄙びた地域で旅客も伸び悩んだのだろう
 バスはサイクリングロードとなった旧射水線跡に沿って走る。一時間くらい掛かるローカル路線バスの旅。走る県道232号堀岡小杉線は沿道に住宅も多く、射水線現役時代よりは沿線人口が増えているのではと思えるが、この辺の人たちは一人1台自家用車を持つような所なのでバスも収支は厳しいだろうな。事実、このバスは殆ど人が乗っていない
<富山>

 ホテルに入る前にちょっと未乗線区潰し。富山港線乗り場で待っていたのはキハ120の単行だった

○ 富山→岩瀬浜:キハ120−347 17:13発 1147D 普通「岩瀬浜」

 富山港線は直流電化で朝夕は3両連結の455系や475系が走っているが、2001年から日中や閑散時間帯はキハ120が単行で走るようになった。元が富山港湾鉄道という私鉄だった為直流電化なのだが、おかげで最後(1985年)まで72系ゲタ電が走っていたので有名
<岩瀬浜>

 県庁所在地に至近なのに広々とした空・・・長閑な雰囲気。沿線は住宅地と工場群で朝夕の通勤通学客が無ければ確かに閑散路線だ

  岩瀬浜→富山:キハ120−347 1148D 普通「富山」

 駅至近のアパホテルに宿泊。聞きなれない名前だが、北陸地方を中心に展開するビジネスホテル

<4/1>

  富山→高岡:クハ419−3 10:12発 540M 普通「高岡」

 583系改造近郊型419系。去年の夏以来二度目の乗車。結構走ってるようで、北陸本線はエリアが広いので今回の旅では初乗車。高岡方の先頭車はオリジナルタイプ
<高岡>

 乗って来た419系の3連を城端線ホームから

 クハ419−3

 種車はクハネ581−27。陰でちょっと判り難いけど、スリット式タイフォンが特徴

 富山方の先頭車はクモハ419−13

 モハネ583−44に切妻運転台を取り付けた。なお、中間電動車はモハ418−13

 城端線はキハ58がたくさん走ってそうだ。これはキハ28 2158

 横の留置線にいるのはパノラミックウィンドウになったキハ58 1116
 高岡にいるキハ58はこの時点で5両。うち2両が平面窓の477と792、残り3両がパノラミックウィンドウになった1113、1114、1116だ
 キハ28は8両いて、1機関車と2機関車のバランス悪いなと思ったがキハ53が3両いるので8両ずつで同数なのだと気付いた。キハ28は2158、2350、2351、2411、2412、3010、3016、3018の8両。両運化改造されたキハ53は1001、1002、1003の3両が在籍していて、これが高岡の急行型気動車の全てだ

 中線で単機佇むEF81 28。氷見線方面には伏木港や高岡貨物駅それに関連するいくつかの専用線、城端線方面には二塚からの中越パルプ専用線と貨物需要が多いのでそのいずれかの継走に待機中なのだろう

  高岡→氷見:キハ47−1064 11:27発 535D 普通「氷見」

<氷見>

 とりあえず、氷見まで乗り潰した。バスに連絡すればそのまま能登半島七尾方面に抜けることもできるが、今日はこのまま引き返す

  氷見→雨晴:キハ47−1064 12:02発 534D 普通「高岡」

 もちろん、同じ列車
<雨晴>
 
 途中、島尾を挟んで2駅目の雨晴で下車。去ってゆくキハ47を見送りちょっと寄ってみたいところがある
 
 なんとも趣のある駅名だな

 駅前の通りを南へ300m程、途中国道に合流し、海岸と線路に沿って歩く。線路と海の間に見えてきた松の茂みはその昔、源の九朗義経が雨宿りしたといわれる雨晴の岩

 雨晴海岸からは富山湾を挟んで雪を頂いた立山連峰を遠望する。良い陽気でもう完全に春だが、遠望する立山連峰はまだ冬を越えてきたばかりなので峰々は真っ白だ

 北側には能登半島が長く伸びる。この辺りからは七尾への途中大泊鼻辺りが見える

 近くの踏切が鳴って高岡からの列車がやってきた。さっき高岡駅で見かけたキハ53 1003だ。乗車したキハ47とこのキハ53が今日の氷見線の運用担当のようだ

 振り向きざま、雨晴海岸を背にもう一枚
 
 義経社。壇ノ浦決戦後、朝敵とされてしまった源義経は最終的に奥州藤原氏を頼り北へ向かうが、その際にこの海岸で俄雨に降られ、雨を凌ぐべく従者の弁慶が持ち上げた大岩がこの義経社が鎮座する義経岩だと言われている。地名の雨晴もこの故事からきている

 社からちょっと入り込む。岩の隙間を進んでゆく

 ここが実際に義経が雨宿りした塚かな・・・・・・

 裏手からも見てみるが、さっきのキハ53に乗っておきたいので早々に退散。あんまり観光とかしない旅だけど、ちょっと位はねw

○ 雨晴→高岡:キハ53−1003 13:24発 536D 普通「高岡」

 単行で、混んでいるので一番前で
<高岡>

 昨日ぶりの高岡軌道線。走行風景を撮っていなかったので、時間に余裕があるし

 右に曲がって終点高岡駅前に到着する7052

 帰りの便は小松からなので金沢方面に戻らねばならない。昨日は普通列車で倶梨伽羅を越えたが、今日はもう特急で良いや

  高岡→金沢:クモハ681−2501 特急はくたか8号「金沢」 6号車14A 喫煙車

 北越急行のSRE。SREって書くと小田急のロマンスカー見たいだが、SREは「SNOW RABBIT EXPRESS」の略。つまりは雪兎急行
<金沢>
 地方私鉄なんていつ無くなってもおかしくないから乗れる時に乗っておかないと
 ということで時間的に気軽に乗れそうな北陸鉄道浅野川線をチョイス。北陸鉄道は石川県下に大路線網を築いた大きな会社だったがモータリーゼーションの進展に伴い昭和40〜50年代に殆どの路線を廃止し、現在は金沢起点の浅野川線と石川線の2線が残るのみなってしまった。石川線は北陸本線の西金沢が連絡駅で、ターミナルはちょっと市内に入り込んだ野町駅と乗り潰しに時間がかかるので、今回は浅野川線
 浅野川線は全車が元京王のステンプラカー3000系に置き換えられているが、30分ヘッドくらいの高頻度運転がされているし、終点まで市街地を走行するので北陸鉄道でも稼ぎ頭であろう。2001年に七ツ屋〜北鉄金沢間が地下化され、北鉄金沢駅は地下駅に変貌した。これに伴い、車両の不燃化が必要となって使用車両はステンレスの京王3000系に置き換えられたという。もうちょっと早く着ていれば雑多な小型吊り掛け電車に乗れたのになぁ・・・・・・
 自動券売機で切符を買って改札に行く。ここまでは大都市の大手私鉄と変わりない、が改札は有人ラッチで切符に鋏を入れてくる。こうゆう所は地方私鉄だ

○ 北鉄金沢→内灘:8902 14:24発 急行「内灘」

 電車は広幅車体の8900系モハ8902+モハ8912。同じ3000系が種だが、5編成のうち3編成が広幅車体の8900系。2編成が狭幅車体片開きドアの8800系とちょっと違いがある。京王3000系は元々最初の導入4連2本は車体裾絞りの無い狭幅車体でデビューしており、その先頭車4両全部がここ浅野川線で現存している
<七ツ屋>
 一駅走って、七ツ屋。かつてはここに車庫があったが、地下化を前に1996年に1500v昇圧工事がなされたときに終点の内灘に引っ越しをしている
 平均駅間距離は600m余りで次々駅があるが急行なので通過と停車を繰り返しながら走行してゆく。線名の通り、浅野川の土手沿いを走るがスピードはそんなに出さないし、勿論急行でも各駅停車を追い越すなんてことはしない
 急行停車駅は上諸江・割出・三ツ矢・蚊爪で全線の所要時間は14分。全部に停まる各駅停車でも17分なので時短効果は僅か。それでも急行各駅が30分ヘッドで交互に走っている
<粟ヶ崎>
 手前の大野川を渡る鉄橋は老朽化の為15キロの速度制限。橋の下すれすれまで川面が迫る
<内灘>

 終点内灘に到着した8902。となりは8901
 1974年まではこの先、粟ヶ崎海岸まで線路が伸びていた

× 内灘→北鉄金沢:8902 普通「北鉄金沢」

 同じ電車で戻るが、今度は各駅停車になった

  金沢→小松:モハ415−805 15:28発 348M 普通「小松」

 またしても急行型には乗れない。415系は七尾線方面の運用だけかと思ったが金沢起点で幅広く運用就いてるんだな。3ドアで使いやすいんだろうな
<松任>
発車直後、トワイラトEXPとすれ違う。
<寺井>
到着直前、線路脇にT−33の胴体前半分だけ転がっていた。後ろはいずこ?

  小松駅→小松空港:空港リムジンバス

<小松空港>

 早めにやってきたので、まだイーグルのフライトが見れた。バーナー炊いて2機ずつ離陸してゆく

 プッシュバック開始したJA8195、エアーニッポンのB737−500

 福岡行きだったかな・・・・・・

 東京から到着したJASのA300B4−622R。JA8561。これに乗って帰るよ

小松→東京・羽田:JD268 A300B4−622R JA8561 35H

 今回は行き帰りともに日本エアシステムをチョイスしてみた。エアシステムに乗る機会も余りないので、A300も初めて乗る
 航空機関士まで含めた3人乗務機だったA300をグラスコックピット化し2人乗務に対応したタイプで胴体もストレッチされているので−600となった。JASが導入したのはその長距離型で−600Rとなる。一般的にはA300−600R、略してA3Rなんてタイムテーブルに書かれるが、正式な形式はA300B4−622Rである。ベースとなる機体そのものがA300B4(開発順にA型やC型があった)で、その派生型と言う位置づけだ。ダッシュナンバー以下の下2桁は搭載エンジンによって振り分けられている。−601や603のように0×番がジェネラルエレクトリック(GE)製CF−6−80系列を搭載したもの。この622R等2×系はプラット&ホイットニー(PW)製PW4158系列エンジンを搭載したものを指している
 夕方の東京便なので乗客は多い。窓側だがもうほとんど真っ暗で慣れない航路なのでどこを飛んでいるか良くわからない。東京までは1時間のフライトだ・・・・・・