雪中陸奥海峡紀行
<2020年7月某日>
撮影していたポジフィルムの取り込みを終えた段階で放置されていた紀行を発見したので、完成に漕ぎ着けたいと思った次第
昔の手帳に乗車した列車の車番なんかは記載されているのだが、発時刻や列車番号は不明であるので、ご了承願いたい
この年の4月には東京に戻り就職が決まっていた。仙台を拠点とし、東北地方を旅行できるのもこれが最後のチャンスであった
<2001/1/12>
午前中だけ授業に出て、昼から出立。館腰までバスで出る
館腰→仙台:クモハ719−7 普通「仙台」
仙台→小牛田:クハ718−16 普通「仙台」
<小牛田>
小牛田で乗継
1.jpg)
雪舞う中、車庫に憩うキハ58群を撮影
陸羽東線には1998年からキハ110が投入されており、キハ23は真っ先に淘汰され、キハ58も気仙沼運用を残すのみになっていた
1.jpg)
快速南三陸に使用するため、キハ58、28もそれなりに残っていたが、指定席設定の無い1、4号はキハ40系列だけのこともあった
小牛田→一ノ関:クモハ701−1506 普通「一ノ関」
一ノ関→平泉:クモハ701−1042 普通「盛岡」
<平泉>
中尊寺まで出掛けようと思ったが、雪が酷いのと良いバス便がないので、結局引き返す。以来平泉には来ていない
平泉→一ノ関:クモハ701−1012 普通「一ノ関」
<一ノ関>
小一時間して一ノ関に帰還。側線に停まっていた12系にエンジンが入り電気が点く。臨時運用でもあるのだろうか。日は殆ど落ちた
一ノ関→紫波:クモハ701−1015 普通「盛岡」
<紫波>
友人の地元だと言うので降りてみた。特に何をするでもなく、降りただけで次の電車で盛岡に向かう。友人は仙台に居るので、こんなところで降りる必要は全くないのだが、どんなところか見てみたかったのだろう。その割には駅の外にも出ていないわけだが
紫波→花巻:クハ700−1042 普通「盛岡」
さっき平泉まで乗った編成だ
花巻→盛岡:クモハ701−1034 普通「盛岡」
今日は盛岡駅そばのビジネスホテルに投宿
もうなんてホテルなのかも覚えていない・・・・・・
<1/13>
<盛岡>
早朝宿をチェックアウトし、盛岡駅へと急ぐ。花輪線始発列車の大館行はキハ58の2連。すでにホームに据え付けてある。大館方先頭がキハ58 1528、後ろよりが1512。半自動扱いなのでドアは手で開けるわけだが、先頭の1528は完全に凍っていてドアが開かない
車内外をうろうろしていたら前夜上野を発ってきた寝台特急はくつるが隣のホームに入ってきた。EF81牽引の24系寝台客車は雪まみれだ。はくつるからの乗り換え客を待って発車となる。スキー板やスノボを持った乗客でBOXはあらかた埋まった
はくつるとほぼ同じ時間帯に花輪線安比高原まで乗り入れる臨時列車の「ホワイトスノー安比」という列車が運行されていたはずだが、敢えてはくつるから普通列車に乗り換えたスキーヤー達の理由はなんだったのだろうか
盛岡→大館:キハ58 1528 普通「大館」
渋民あたりで稜線が明るくなり始め、花輪線に入る頃にはなんとか景色が判別できるようになってきた
<松尾八幡平>
列車交換のため4分停車小休止
盛岡方面行きは通勤通学時間帯に入ってくるため5両の長編成。盛岡方からキハ58 1506+キハ52 108+キハ58 1509+キハ58 1520+キハ52 152。列車は盛岡を通り越して、東北本線の日詰まで行く
<安比高原>
件のホワイトスノー安比の終着駅。もっとも、営業上の終着駅というだけで、列車は客扱いを終了したら更に先の荒屋新町まで回送された。安比高原の駅は片側ホーム1面のみで機回しも出来ないので当然のことか
銀箱を提げた「鉄」と思しきお兄さんはスキー板を持った家族連れと共に降りていった。ホワイトスノー安比でも撮るのかな?
<荒屋新町>
1.jpg)
ここでも交換待ち4分停車。せっかくなので外に出て1枚。ポジフィルムには早朝の光線状況は厳しい
キハ58 1533+キハ52 144+キハ52 148の3連と交換
田山、兄畑を豪雪の中の小駅に丹念に停車してゆくが乗客は増えない
<鹿角花輪>
交換待ち3分停車。交換列車はキハ58 1504+キハ58 1531+キハ52 143
大館方面に向かう通学時間帯に入ってきたようだ。この先、十和田南でのスイッチバックに備えて向かい側のシートに移動
<十和田南>
1.jpg)
スイッチバックの十和田南駅
1.jpg)
スイッチバックの終端部を見る。ここからまっすぐ山を越えると鉱山のある小坂である。小坂までの鉄道延伸計画があった為、スイッチバック形態に線路は敷設された
<大館>
ほぼ遅れなく大館到着
1.jpg)
雪まみれの701系は秋田行きか?データ無し
1.jpg)
丁度良い時間に弘前方面行の普通列車は無く、あけぼの、日本海と寝台特急が2本続く。しかし、丁度良い接続のあけぼのは本日55分遅れ。しかし、待つしかない
2020年現在、ここに表示されたあけぼの、日本海、八幡平、全て愛称消滅である
1.jpg)
側線に停まる701
1.jpg)
9:23定刻に鷹巣からの1639Dが到着した。キハ58 1507+キハ58 1530の2連。写真は1530
花輪線気動車を使った奥羽本線のチョン行列車。前夜、弘前まで行き滞泊。早朝に弘前から鷹巣まで走り、大館まで戻ってくる。そんな運用があるなんて知るのはもう少し後のこと
1.jpg)
結局、51分遅れで滑り込んできた寝台特急あけぼの。弘前までの矢立越えは寝台車のヒルネ利用だ。18切符使用の節約旅行では痛い出費だが、僅かな投資で寝台車に乗れるのであれば、それはそれで
大館→弘前:オハネフ24 23 寝台特急あけぼの「青森」
弘前へ抜ける列車が無いので、あけぼのの乗車率は結構良い。手荷物から見るに、昨晩の上野からの旅行客ではなく、地元の人間が多数だろう。殆どのBOXが埋まっている
<弘前>
1.jpg)
51分の遅れのまま弘前に到着したあけぼの。最後尾のオハネフ24 25は雪まみれで何の列車かわからない
後続の日本海3号は5分遅れで運転中。いまならあけぼのか日本海にそのまま青森まで乗車しているところだが、学生で青春18切符使用の身、なるべく出費は抑えたいところだ
○ 弘前→青森:クモハ701−16 快速いわき5号「青森」
ロングシートで楽しくないので一番前に陣取ることにした。乗ったことの無い区間なので景色も良く見たい
日本海3号は結局9分遅れ。接を取ってから当列車は発車。つまりは日本海の続行だ
こちらは3分ほど遅れて弘前を発車
<撫牛子〜川部>
平川の鉄橋上でいなほ12号と交換。485系の6連
<浪岡>
本来北常盤で交換予定だった上りとはここで交換
<大釈迦>
EF81 25牽引の貨物列車と交換
<青森>
津軽線からのはつかりを先に入線させるために場内待ち
12分遅れて終着青森着
1.jpg)
スーパーはつかりのE751系。初めて見た。常磐線で走っているフレッシュひたちE653の交流専用タイプみたいな感じね
1.jpg)
先着していた日本海3号。こちら側に機関車が付いているので、カニの前面には雪の付着が少ない
当時、既に複数の号数を持つ寝台列車はこの日本海と北斗星のみになっていた。関東、関西から東北、北海道方面はまだ寝台列車にも需要がそれなりに残っていたのだろう
1.jpg)
いかにも「青森駅」って感じ。雪に寝台車、そして人気の無さ
1.jpg)
ホームの先っぽまで行って八甲田丸をパチリ。青函連絡船は乗った事がないのだが、保存展示されているメモリアルシップの見学も今をもってしても経験していない
1.jpg)
車輌基地に回送のため、秋田方にはDE10 1122が連結されていた
1.jpg)
6番線津軽線ホームにはED79 14牽引の快速海峡が入線してきた
1.jpg)
海峡は高頻度運転なので、直ぐに折り返しの準備が始まる。さっそく機関車が切り離され客車だけになった。最後尾はオハフ50 5009
青森→木古内:オハ50 5005 3127レ 快速海峡7号「函館」 3号車自由席喫煙車
1998年からドラえもんとタイアップして海底トンネル見学ツアーを催行しているので、客車のあちこちにドラえもんのステッカーが貼ってある。機関車も一部はドラえもん塗装になっている
本日の海峡7号の編成は青森方@オハフ50 5009+Aオハ51 5002+Bオハ50 5005+Cオハフ50 5012.1号車4号車が指定席。中ほどの2、3号車が自由席でタバコが吸えるのは3号車のみなので、必然3号車に席を取る。なお、2号車のみ北海道向けの51系客車からの改造車で、これは更にカーペット車に改造されていた。1号車の指定席は海底駅見学者専用の車輌
厳冬期なので需要は少ないが、そもそも4両編成でうち自由席が2両しかないので利用率は高く見える
奥羽本線の特急かもしか2号は弘前で足止めを食っているようで、直にこれは打ち切り運休になった。走っていれば接続のために大幅な遅れも発生したかもしれないが、その心配はなくなり定刻に発車。ハイケンスを効きながら、窓外を過ぎる青森運転所を見つめる
<奥内>
3分停車。時刻表上は蟹田まで停まらないので列車交換のためだけの運転停車だ。上り海峡6号と交換。急行はまなすの間合い運用、14系客車の5連だ
<郷沢>
かすかな青空と共に陸奥湾が見える。ここは湾内なので波は少なく、穏やかに見える。きっと海峡部分は激しいうねりなのだろうけど
<蟹田>
上り青森行海峡6号と交換。少し遅れているが、この積雪ならば遅れているうちには入らないだろう
9分遅れて発車
<青函トンネル>
15:06青函トンネルに突入。人生2度目。前回1989年北海道の往復で上下しているから3度目が正しいか?
快速海峡用の50系客車にはデッキと客室との仕切り扉部に青函トンネルの現在位置表示ディスプレイが取り付けられているので、自列車がどんなところを走っているか一目瞭然なのが良い
15:12。入り口から10km地点。海面下は96m
<竜飛海底>
15:16着。1号車だけ扉扱いが行われている・・・・・・はず。保守用通路かと見紛う位の狭いホーム。1分停車で発車
15:21。入り口から20km。海面下216m
15:24。入り口から25km。海面下240m。最深部
15:26。トンネル全線中の中間地点。色の違うライトでそれと判る。ここから延々上り勾配
15:27。入り口から30km。海面下少し上がって224m
15:30。入り口から35km。海面下164m。札幌時計塔、大通り公園、テレビ塔、丹頂鶴のイルミネーションが次々と車窓を過ぎる
<吉岡海底>
北海道側の海底見学駅。ここも1号車のみの扉扱い
15:39。入り口から40km。海面下104m
15:43。入り口から45km。海面下49m
15:48。入り口から50km。海面下0m。海峡を通り越し、青函トンネル自体も出口まで後わずか
15:51。青函トンネル突破。北海道上陸
<木古内>
トンネル内で遅れを取り戻し、木古内到着は定刻
1.jpg)
牽引機のED79。番号は不明
1.jpg)
4号車のオハフ50 5012
1.jpg)
海峡を待たせて到着したキハ40 798。折り返し函館行になる
木古内→渡島当別:キハ40 798 普通「函館」
木古内で降りたのはせっかくなので江差線を往復しようと思っていたからであるが、江差線も北海道のローカル線の御多分にもれず運行本数は少ない。合間に待ち時間がかなりあるので、渡島当別まで行って引き返してこようとの算段だ
厳密には木古内〜五稜郭間も江差線なのだが、木古内から江差方面がその本質であって、木古内から五稜郭、函館方面は青函連絡の大動脈なので特急から快速、貨物列車までバンバン走る重要路線、江差線という感じは皆無だ
木古内から札苅、泉沢、釜谷と止まって4つ目の渡島当別で下車する
<渡島当別>
一緒に1人降りて、3人乗っていった。函館行きは貨物との交換待ちでしばらく停車。交換の貨物はEH500−6牽引だった
16時過ぎの駅舎は真っ暗。函館行きが出てしまい、人気は皆無。無人の待合室でストーブだけが真っ赤に燃えている。照明を点けようかとスイッチを探すが至近には見当たらず、代わりに「照明制御盤」なるものを発見。中からカチカチと時計の音がする。16時50分に「バンッ」と音がして勝手に照明が点いた・・・・・・
渡島当別→江差:キハ40 796 普通「江差」
キハ40の2連だが、後ろ1両は木古内で切り離し。江差へ直通するのは乗車の1両きり
当別でED79重連の貨物と交換してから発車
この先、釜谷、泉沢と立て続けに函館方面行貨物と交換
<木古内>
再びの木古内。後ろ一両切り離しと、海峡接続のために少し停車する。函館行き海峡9号は14系座席車5連。はまなすの間合いのようだ。14系座席車が青森〜函館間を何往復かする間に、青森の基地ではB寝台が夜に向けて整備を受けているんだな
江差行きにはこれでも乗り継げるんだから、海峡9号に乗れば良かったのにね・・・・・・おかげで、14系座席車には未だに乗れていないよ
高規格に整備された江差線から分かれて、こちらが本来の脆弱な江差線に入る。雪と暗闇の中、静かに走る
<吉堀〜神明>
21分も走る間に駅は一つも無い
<江差>
18時32分、定刻に到着。折り返し時間そんなに無いのだが、いったんホームに下ろされる
江差→木古内:キハ40 796 18:40発 普通「木古内」
同じ車輌で帰る。ほかに手段は無い。函館方面の終列車
数人の乗客を乗せて来た道を帰る。並行して道路があるが、車も全然走っていない
<木古内>
到着直前に大阪行トワイライトエクスプレスが過ぎる
木古内でしばらく停まってそのまま函館行になるが、函館へは木古内から快速海峡が先発するので、敢えて「木古内行」としているのだろう
木古内→函館:オハフ50 5014 3131レ 快速海峡11号「函館」 1号車自由席喫煙車
ED79 17牽引 @オハフ50 5014+Aオハ51 5003+Bオハ50 5001+Cオハフ50 5005
冬季は乗客も少ないので4〜5両くらいの編成が定位のようだ。牽引機のED79 17はドラえもんの顔が正面に描いてある
<五稜郭>
相当数が下車。森行普通列車はキハ40単行
<函館>
ハイケンスを聞きながら終点函館到着。この先、札幌方面の乗継案内は快速「ミッドナイト」のみ
とうとう函館駅にも自動改札が導入されていた。もっとも前回来た時は1989年だし、技術革新あってしかるべしだ
函館駅前→どっく前:8005 「どっく前」
時間が余っているので、乗っていなかった函館市電の南側を乗車しておくことに。来た電車でそのまま終点まで乗車。8000形は800形の車体更新車で新しい軽快電車スタイルながら足回りは旧来からの吊り掛け駆動なので音は楽しい。この8005は802からの更新車
立待岬に行ったので、十字街から分かれて谷地頭までは乗っていた。今回は十字街〜どっく前を乗車して南側は全線乗車。あとは東端の湯の川辺りだけだ
どっく前→函館駅前:8005 「どっく前」
もう何もすることがない、なにも出来ないのでそのまま来た電車で戻る
函館→七重浜:キハ40 795 21:50発 普通「木古内」
今夜の宿に向けて、最後の列車。2駅ほど乗って七重浜で下車。ここから雪の中を歩く
コンビニに寄り道しながら30分ほどかけてやってきたのは、函館港フェリーターミナル。駅から1.5キロほどだが、慣れない雪道なので時間がかかった。そう、今夜の宿は青函フェリーだ
予約はすでに出立前にしてある。今ならスマホで簡単にネット予約が出来るが、当時はわざわざ仙台市内の代理店まで出掛けてカウンターで予約を取った。あまり情報収集が上手に出来なかったので、このときに初めて学割があることに気付いた
まだ出港には少し時間があるが、乗船手続きを済ませておく。用心してコンビニで色々買い込んできたが、ターミナルには24時間営業の食堂も売店もあった
青函連絡船廃止後、旅客は青函トンネルを利用する鉄道利用にシフトしたが、トラックや自家用車の航送需要のために今でも青森〜函館間にはフェリーが運航されている。2020年現在も事業者は変わったものの存続しており、少なからぬ需要をさばいている。青函連絡船と異なり、駅直結の港では無いので徒歩客にはアクセスに難が有るが、今では北海道新幹線に比べて非常に安価なので時間を気にしない旅客には好評であろう。この頃の津軽海峡線に比べても時間がかかるので、むしろ夜行便でホテル代わりにするには丁度よかった。
函館港→青森港:びいな 東日本フェリー
日付が変わった0時10分頃に乗船。乗船した「びいな」は1987年に就航した2290トンの客船である。同社のほかの船が軒並み6000〜7000トン級なのに比べて、この船だけそれらの3分の1くらいの排水量という小型船。青函連絡船もおおよそ7000〜8000トン級が占めていたので、この「びいな」だけ青函航路では格段に小さく思える。冬季なので需要も少なく、この程度の規模の船で充分とのことなのだろうか
ちいさな船なのであまりたいした設備も無い。売店は出港後すぐに閉店してしまった。桟敷席に横になり、僅かな時間だが睡眠に充てる・・・・・・
出港後しばらくはかすかな揺れだったが、突然下から突き上げるような揺れに変わる。函館湾を出て津軽海峡に入ったのだろう事が夢現に感じられる。小一時間大きな揺れが続いたが、ぱたりと揺れが収まっておそらく陸奥湾に入ったのだろう事がわかる
<1/14>
総じて、あまり揺れなかった。真冬の津軽海峡なんてもっともみくちゃになるくらい揺れるのかと思っていた
4時18分に入港、接岸。自動車を下ろした後の一般客下船となる
青森港→青森駅:タクシー ニッサン・クルー
青森港も函館側同様に駅からは少し離れている。2.5kmなので歩けない距離ではないのだが、函館よりも激しく降雪があるので、素直にタクシーを使うことに。所要時間およそ10分、1620円投資
<青森>
青森駅には4時45分頃に到着したが、駅が開くのが5時10分との事。近所に時間がつぶせる暖かいところなんて無い青森駅前。電話BOXの中に逃げ込んで駅が開くのを待つ
1.jpg)
駅が開いてまず向かったのがこれ。大阪行き特急、白鳥。クハ481−119を先頭にした9連だ
2001年3月ダイヤ改正で廃止されることが決まっており、早朝時間に青森駅に立ちたかったのも青函夜行便を使用した理由である。こんな雪の中でこんな早朝なのに撮影者はさすがに多い
デイライトタイプのポジフィルムなのでこんな真っ暗な中ではまともに写らない代物なのだが、ホームに直置きして固定した撮影した。現像してみるまでドキドキだったが、思いの外うまく撮れていた、最後の白鳥の姿だった
1.jpg)
6時11分。5012M特急白鳥は定刻に大阪に向けて出発していった。1040km先の大阪に到着するのは19時6分。およそ13時間の長駆の旅だ。交流20000V・50Hz、直流、交流20000V・60Hz、直流と4回も電源方式が変わる列車もこれだけ。3電源方式の485系の機能を最大限活かせるのもこの列車だけになった。それもあと2ヶ月ほどだ
過ぎ去るテールライトの赤い光芒が闇に完全に消えたとき、一つの昭和がまた終わった気がした・・・・・・
青森→八戸:キハ48 556 普通「八戸」
八戸線用気動車の東北本線アルバイト運用。先の奥羽本線キハ58運用と同じようなものだ
キハ40系列の4連。先頭1両だけ48で、残り3両が40。1両だけの48に乗ろう
<野辺地>
スーパーはつかり退避
<千曳〜乙供>
寝台特急はくつるとすれ違う
<八戸>
1.jpg)
八戸に到着。乗ってきたキハ48 556
1.jpg)
中線を通過してゆくED75 134牽引のコンテナ列車。3066レ
1.jpg)
乗継待ちの間に先行する盛岡行はつかりは3000番台
1.jpg)
貨物がたくさん往来する。3066レに続いてもう一本上りの貨物3064レ、EH500−2牽引
○ 八戸→盛岡:クハ700−1001 普通「盛岡」
1000番台のトップナンバーだ。写真取りながらうろうろしてたら席が埋まっていたので一番前に立つ
八戸を定刻に出発。目時を出ると岩手県に入る。二戸、一戸と順調に進行し、峠の手前である小繋を出発したが、どうも様子がおかしい・・・・・・
減速してゆき、とうとう雪の中で停車。運転士さんが指令と無線でやり取りしている。他列車の無線も入ってくる。どうやら、先行の3066レが奥中山で立往生しているようだ。直ぐ前を走る3064レともども停止中
3066レはED75の単機牽引だ。この雪でスリップして進めなくなった模様。「砂は積んでない」と無線では言っているが、積んでいないのか、使い切ってしまったのか・・・・・・
ゆるい直線の登り坂の途中で停止。坂の頂上には先行する3064レの最後尾がちょこっと見えている
空転して坂を登れない3066レだが、「針が動かない程度の速度で進行」しているという。こちらの列車は「グリーン出るまで抑止」とのこと。隣の下り線を雪煙蹴立てて国鉄特急色の特急はつかりが駆け抜けていく。ああ、八戸からはつかりでスキップしとくんだったなw
現場を70分遅れて発車。奥中山駅を過ぎれば御堂にかけては下り勾配。重い貨物も下りに入れば問題ない
<奥中山>
90分遅れて発車
<盛岡>
13時3分到着。ざっと2本は乗継遅くなったな
○ 盛岡→一ノ関:クハ700−1036 普通「一ノ関」
ここも一番前に立つ。疲れてきたのか、メモが余り残っていない
一ノ関→小牛田:クモハ701−1026 普通「小牛田」
奥中山越えで遅れていなければ石越で降りて、くりはら田園鉄道でも乗ろうかと思っていたが、そのまま素通り。結局、これが最後のチャンスになってしまい、2007年の同線廃止までここを訪れるチャンスは巡ってこなかった
小牛田からは仙台まで何で出たか・・・・・・仙台では市内で買い物して、岩沼の自宅へは夕刻帰宅した
乗った電車の殆どが701系という。幹線ローカル運用はみんな同じ電車で楽しみは僅かに残る非電化ローカル線だけになっていた
了