駿河三河紀行


<序>
 2000年の8月に家族旅行に出かけた際の記録を発見したので、大まかな全体の行程と、途中1日単独で抜け出して周った紀行を記してみる。2022年4月

<2000/8/12>
 東大和の実家から自動車でスタート。行程は覚えていない。最初の宿泊地である沼津駅前のホテルまで出掛けている。当時の自家用車は導入したばかりのマツダプレマシー。プレマシーもすでに過去のものになってしまった・・・・・・

<8/13>
 一般道で西へ。静岡の要所をまわりつつ、目的地は浜松。浜松駅南口のホテルまで

 出発前、ホテルの窓から。東海道線は111系、113系がまだまだ幅を利かせていた。手前の青いJRコンテナも懐かしい

 EF66牽引の上り寝台特急富士。このころはまだ単独列車

 EF66もう一枚

 最後尾のカニ24

 道中、どう移動したのか覚えていない。高速は使わず、1号線を西へ進んだ記憶がある
<新金谷>
 電車には乗らなかったが、駅で大井川鉄道ウォッチング。東海道線の車窓から見かけることはあったが、実際に目の当たりにするのは初めてだった。おおよそ、どんな電車が走っているかの知識はあったが、まさか近鉄の旧型車が残っているとは思っていなかった

 この日は運用に就いていなかった元近鉄の421。1994年に大井川鉄道に譲渡されている。1994年までは養老線で使用されており、そもそもの出自は狭軌時代の名古屋線特急車6421系である。大阪線の特急車2250系と同様ながら、狭軌台車を履き、四日市付近の急カーブ対策で19m級車体でデビューした
 非冷房車なので夏場の使用は厳しかろう。すでに近鉄16000系や南海21000系が入っているわけだし
 近鉄は他社に殆ど中古電車を譲渡することがなく、大井川以外には琴電に4両がいるだけ。大井川にしても16000系特急車が少数譲渡されているだけでという現状で、1953年製の釣り掛け特急車がいまだに残っているのは驚きである

 そんな冷房付の南海車も車庫でお昼寝中だ
 21000系は高野線山岳区間に乗り入れるために17m級車体である。冷房も載せた2ドア電車は地方私鉄にはうってつけの構成だよね

 では実際に運用に就いていたのはというと、結局非冷房の311。元西武の351系を2ドアに改造し、車内にクロスシートを配した電車だ

 2ドアになったうえ、前照灯も2連のシールドビームになっている。それでも大まかに見れば西武時代の雰囲気と変わらない。近しい塗装ってのもあるな
 よくみたら、311の向うのホームには421が入っているな。これから運用に就くんだな

 金谷から下って、掛川でお城見て、浜松には夕方早い時間に到着
 本日の宿は南口にあるサゴーイン

<8/14>
 この日が単独行。浜松から出て浜松に戻る行程

  浜松→豊橋:117系(番号不明)

 記録が全くないが、豊橋鉄道市内線で運動公園前と赤岩口まで全線乗車している

 運動公園前まではこの3102に乗ったようだ
 井原~運動公園前間は1982年に延伸された比較的新しい路線。大都市では悉く路面電車が廃止されてきたなかで、長崎電気軌道の思案橋~正覚寺下間が1968年に延伸されて以来の路線敷設だった

 発車してゆく3102を後追いで撮影

 少なくとも、分岐駅の井原までは徒歩で戻ったのだと思うが、井原から赤岩口までは電車に乗ったのか、それとも1駅なので歩いたのか、こちらも定かではない
<赤岩口>

 赤岩口から豊橋駅前に向けて発車してゆく3105
 井原から先、2方向に分岐するが、そのどちらも単線軌道になる
 先の3102と共に元名古屋市電1400形で1974年に譲渡された。9両が導入されている

 3302。元北陸鉄道金沢市内線の2302。金沢市内線では最後の新車で2301と02の2両が1961年に登場した。北陸での使用は短く、1967年に豊橋鉄道にやってきて、301、302として使用が開始された。後年3301、3302に番号変更されたが、2000年の3月に運用終了している。この時点ではすでに運用に就いていなかったということだ。

 こっちがもう1両の3301。絵画電車になっているが、この後、北陸鉄道時代の姿に復元されている
 2両ともこの更にあとに、国立の鉄道総研に持ち込まれて実験車両として活用されるようになった

 奥のほうに停められていた3700形3702。1963年に名古屋市電1200形を譲り受けたもの。レトロ調の塗装がされている

 ひとしきり車庫の電車を撮影し、満足できたので豊橋駅へ戻る。もっとも、何に乗ったのかは記録がない

 JRに乗る前に、渥美線の電車が停まっているのが見えたので撮影だけ。この頃は名鉄の7300が主力として働いていた。冷房装置を載せた夏場は快適な電車だが、2ドアで釣り掛け駆動では長生きは出来ず、1997年に運用開始されたものの、2002年には早くも全車が引退した。2両編成14本、総計28両が導入されて、これによって渥美線は1500vに昇圧されたが、600v時代に使用されていたカルダン駆動の1900系(名鉄5200)を釣り掛け駆動車で置き換えるという珍現象も起きている

 豊橋からは名鉄で。国府から先は乗ったことがなかったので、一気に未乗線区消化を稼ぐことに。6連になったパノラマスーパーで西へ向かう

  豊橋→国府:1515 特急「豊橋」 

<国府>

 豊橋行パノラマスーパーを撮影

  国府→東岡崎:7000(番号不明) 急行「新岐阜」

 これ、一番前乗ったんだったかなぁ・・・・・・?
<東岡崎>

 東岡崎に到着したパノラマカー

 となりのホームには5500系5501。トップナンバー!

 こっちの5502に乗る

  東岡崎→新安城:5502 普通「岩倉」

  新安城→西尾:6417 急行「西尾」

<西尾>
 1本のホームで乗り換えできるように、電車が並列に2本停まる。1本は乗ってきた西尾行急行で折り返し新安城行になる。前方に2両ワンマンの蒲郡行普通が停まる

  西尾→吉良吉田:6013 普通「蒲郡」

<南安城>
 6000と交換
<米津>
 8500系パノラマDXと交換
<福地>
 6000と交換
<吉良吉田>
 ここで降りて、ここからは三河海線で碧南、刈谷方面に戻るよ

  吉良吉田→碧南:キハ34 普通「碧南」

 吉良吉田から碧南間は需要減から電化設備が撤去され単行ディーゼルカーが使用されている。電化時代も末期は800の単行なんかが走っていたから長らく鉄道輸送としての必要性はなくなっていた。三河線は北部の猿投から先、西中金までの間も気動車運転がされている。更に北部の八百津線も電車運転を中止しており、大手私鉄でも合理化が必要なほどローカル線の需要は減少している
 キハ30は2軸駆動だったキハ10の置き換え用に1995年に4両が新製された、まだ新しい気動車だ
 架線が外され、架線柱だけが転々と残る単線線路をわずかな乗客を乗せてピョンピョン走る
<三河平坂>
 ここだけ交換設備が残っている
<碧南>

 碧南に到着したキハ34

 キハ20も1両だけいた。どちらかというと、このころはキハ20が三河海線の主力でキハ30は山線で使用されていた筈だが。この日はキハ30が海線運用に就いていた

  碧南→知立:5410 普通「弥富」(知立から急行)

<新川町>
 7700と交換
<三河高浜>
 6800と交換
<小垣江>
 6800と交換
<重原>
 6000と交換
<知立>

 5410

 白帯巻いた7700。7700系はパノラマカーの増結用2連で正面は6000系似の貫通型。側面はパノラマカーのような連続窓。元々の特急増結運用はこのころほぼなくなっており、支線区の運転が主流だった

 本線の急行や、本線から支線に直通する急行には7000系パノラマカーがたくさん使用されていた

  知立→新安城:6103 急行
  新安城→知立:3566 急行

 なんで新安城まで行って帰って来たかといえば、こうすることで本線の未乗区間が解消できるからだ。知立から先名古屋方面は1988年に乗車している。これで少なくとも、名古屋から豊橋までの区間が繋がった

  知立→刈谷:6814 普通

 刈谷からはJRで浜松へと戻った。この先、何に乗ったか記録が残っていない。まだ記録方法を確立する前だったし、後年インターネットで紀行を書くなんて思ってもみなかった

<8/15>
 東京へ帰る日
<浜松エアパーク>
 あまり写真を撮っていない

 ハチロクブルーが玄関前に展示されている

 マルヨン。無人標的機、UF-104JAの塗装がされているが、実機は硫黄島で全機撃墜損失しており、この698号機は無改造のフェイク

 H-21「フライングバナナ」初期のヘリコプターでは大型の部類になるタンデムヘリ。くの字に曲がった胴体がバナナのようだった
 館内もいくらか写真は撮ったが、デイライトタイプのカラーポジではまともに写っていなかった。エアパークを後に浜松を離れ、また一般道を主体に東京へと戻ったのだった